2012年5月21日 (月)

2012年05/21金環日食

 昨日機材チェックを兼ねてある公園駐車場へ下見に行ったけど、ベタ曇りでピント位置の確認もできなかったし、開場時間の確認を忘れてしまった。機材はそのまま一通り積みっぱなしにしてあったので、今日は自動車に乗り込みすぐ出発。

 第一候補にしていた公園駐車場が開いておらず、第二候補で考えていた近所の川の堤防へ移動。

 これ以降の写真に写っている自動車を見て、△11の自動車を知っている人は「見慣れない自動車やな」と思うかも知れないけど、今は代車。

Dscn3652 組み立てて太陽投影、普段のように望遠鏡の影であっさり導入できた。

 すでに第一接触が終わって部分日食が始まってしまっている。まぁ第一接触は地味だし殆ど最初から見られたからどうでも良いといえばどうでも良いんだけど、事前調査不足ですな。

Dscn3662

 今回持ち込んだ観望場所はこんな感じ。

Dscn3655

 観望機材は、まず原則投影ということで高橋製作所 TSー80用太陽投影板(△11の天文台)が前提。それを使える鏡筒は五藤光学 8cmF15標準アポ鏡筒(△11の天文台)となる。アイピースは貼り合わせがなくて太陽熱にも安心なニコン アイピースHー25旧型(△11の天文台)。鏡筒に見合う足回りということで高橋製作所 90S型赤道儀架台(△11の天文台)高橋製作所 TSー90用三脚(△11の天文台)を選んだ。

 通りがかりの人が希望した場合にも見てもらえるよう、手持ち機材を事前に棚卸しして望遠鏡用サングラスのありったけ、、、と言ってもビクセンブランドとノーブランドの2枚しか出て来なかったけど、、、を持ち込んでいる。

Dscn3653

Dscn3654 左右2枚の写真は比較用に撮影した、太陽投影状態と何も投影していない状態の太陽投影板。太陽投影状態の右写真には、ちょっと分かりにくいけど黒点が写っている。

 写真だと目立つ傷が1本入っている以外何も見えないけど、実際には傷が結構入っているし、汚れもある。だから本当は綺麗に塗り直したい。

Dscn3660

 肉眼+望遠鏡用サングラスでも一見して分かるくらい、はっきり欠けてきた。ただ写真でも分かる通り、この辺から雲が出て来た。

Dscn3661_2 右は望遠鏡用サングラスを装着した協栄産業 アイピースOr20MCR(△11の天文台)によるコリメート。緑色は望遠鏡用サングラスの色だ。
 どうして投影で使っていたアイピースをそのまま使わなかったかと言うと、ニコンのサングラスはアイピースの接眼側カバーを外して装着する専用品なので、ニコンのアイピースの対物側にはネジが切ってないんだな。んで、ノーブランド アイピースH20(△11の天文台)はと言えばこれもネジが合わず。Orには貼り合わせがあるが短時間なので問題はないだろう。

Dscn3663  うわ〜これで金環状態見られるかなぁ。太陽投影板では映らなくなってしまった。望遠鏡用サングラスを装着しての望遠鏡直視でも全く何も見えずダメだ。

Dscn3664 かなり欠けてきている。

 通れない程ではなかったものの河川敷への降り口を塞いでいたことに気がつき、自動車を前に出して望遠鏡を後ろに下げたんだけど、再導入しようとしてもしばらく導入できない程雲が厚い。しかしこの辺から雲の流れとスピードからこの先第二接触までに晴れるだろうと見当が付き始めた。

Dscn3665  厚い雲を抜けると、久々に太陽投影板にも写った。

Dscn3666 この辺りから周辺にも太陽観察メガネを持った人が増え始めた。それと、買い損なったらしく「もっと早く買いに行かなきゃいけなかったんだよ(T_T)4949」と言っている人も。何人かは△11の望遠鏡用サングラスを貸し出し、太陽投影板でも見せて、ありがたがられた。

Dscn3667 Dscn3668_2 雲を抜け、この先には雲は全くない。これなら少なくとも金環の間は大丈夫そうだ。

 安心できたところで第二接触を迎える。やった〜。金環がちゃんと見られて本当に良かった。

 しかしあまり暗くならないものですな。「言われてみれば晴れている割にちょっと暗い」という程度。

Dscn3669

Dscn3670

 周囲にいた人には、望遠鏡用サングラスを装着しての望遠鏡直視でも見てもらった。
 結構な人数が通りかかったけど、不思議なことに最初から最後まで太陽投影板はあまり人気がなかった。通りがかりの人が「覗かせてもらう」という心理的な抵抗なくすぐさま状況を確認できるという利点は大きいのだけれど、皆望遠鏡用サングラスを通して見たがる。やっぱり直接体験したい気持ちがあるんだろうか。投影されたのを見てもTVと同じ感覚しか持てないのかも知れない。

Dscn3671  間もなく第三接触を迎えた。金環状態終わり。天気は何の不安もない。

Dscn3672 通りがかりの、太陽観察メガネを持った人が「うわ〜こんなので見せてもらえるんだったら金環日食の時もここで見れば良かった!」と言ってくれる(^_^)

 代わりにワンセグでテレビを見せてもらった。「今群馬が金環日食だってやってる」
 東京はあまり天気が良くないながら雲を通して見えたようだ。

Dscn3673Dscn3676 望遠鏡用サングラスを装着しての望遠鏡直視で太陽黒点の強拡大を見てもらったりして、これも結構喜んでもらえた。望遠鏡を持っていると当たり前でも、普通の人が見る機会ないもんねぇ。

 金環状態の写真を見せた通りがかりの人から「写真コンテストをやってるってニュースでやってたよ」と教えてもらえたが、太陽投影板を撮影したのなんかではダメですわ。
 ちゃんと撮影するならニコン D1(△11のカメラバッグ)の直焦点で撮影しないとね。NDフィルターさえ買ってくれば他の機材は揃っているけど、そうするとバタバタ機材の付け替えしてミスしてもつまらないし、人に見せるのは難しくなる。
 望遠鏡を観望用と撮影用の2セット持ち込むって手もあるな。もしもう1セット持ち込むなら高橋製作所 EMー1赤道儀架台(△11の天文台)高橋製作所 FCー100鏡筒(△11の天文台)辺りか。運ぶのが面倒臭いし自動車に積めるかどうか分からない。
 △11は人に見せて喜んでもらえるだけでいいや。

 第四接触まで見届け、2012年06/06に起こる金星の日面通過までしばしさようなら。

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2012年5月10日 (木)

国の借金、来年度には1000兆円

 国の借金960兆円=国債増発で最大更新-11年度末(時事ドットコム)

》財務省は10日、国債や借入金、政府短期証券の残高を合計した「国
》の借金」が2011年度末で959兆9503億円となり、過去最
》大を更新したと発表した。1年前に比べて35兆5907億円の増
》加。国の財政状況は09年度以降、4年連続で新規国債発行額が税
》収を上回る異常事態が続いており、12年度中には借金残高が10
》00兆円を突破しそうだ。
》4月1日時点の推計人口(1億2765万人)で割ると、国民1人
》当たり752万円の借金を負う計算になる。
》借金増加は、景気低迷で税収が伸び悩む中、高齢化に伴う社会保障
》費の増大や東日本大震災の復興費などを国債増発で賄ったことが主
》因。建設国債や赤字国債、復興債を含む普通国債は約34兆円増の
》669兆8674億円となった。(2012/05/10-15:30)

20120510ax06b_2  来年度は1000兆円か。

 しっかしこの期に及んで「これは日本政府の債務であって、日本国民の債務ではない」「日本国民にとっては債権=財産なんだから、一人当たりにして危機感を煽るのはおかしい」「日本の国債は自国通貨建てであって、購入者の95%が日本人なので、日本政府は破産しない」という言説があるようだ。

 アホやなぁ。

 日本政府の債務=日本国民の債権なのは間違いなかろうが、債権って回収までは約束に過ぎんのだぞ。
 日本政府としては
・収入を増やして国債を支払う(増税)
・国債を支払わない(デフォルト)
・日本円の価値を下げ、国債を支払ったことにしちゃう(ハイパーインフレ)
 のどれかを選択するしかないじゃないか。日本政府がどれを選択したとしても最終的に日本国民が負担するんであるから、一人当たりにして危機感を煽るのは当然だ。

 本当にどれだけ借金を増やしても破産しないんだったら、誰が何にどれだけ使ったって何の問題もない。効率はともかくとして使えば経済効果が生まれるんだから、国会議員の給与が高かろうが、無駄な公共事業が多かろうがノープロブレムということになってしまうじゃないか。

 結論がおかしいんだから、途中の説明がどれだけもっともらしく見えたってそれはマヤカシに決まっとるやないか。

 ではどこがマヤカシなのか?
 現状は「日本国民が既発行の日本国債を保持し続け、かつ新規発行分も全て買い取り続ける」ことを前提としている。ぶっちゃけ現在は護送船団&一蓮托生で民間銀行が全て買い取っているわけだが、しかしそれは永遠に続けられるわけではない。要するに日本国民の金融資産が全部日本国債に変わって、新規発行国債を吸収できなくなった時点で破綻だ。借金ができなくなった日本政府は財政を維持できない。

 よく「国債をほぼ自国民だけで保有している」ことがメリットのように言われるが、逆ではないか。
 もしこの1000兆円に上る政府債務がデフォルトされた際には、世界中の皆で少しずつ負担するのではなく、この狭い日本の国内で債権950兆円を損失処理しなければならないのだ。
 それと、日本国債がどうなろうと日本国民はその国民性から誰も文句を言わない。日本が大改革を断行できるのは外圧があった時だけだが、それは外国人投資家が5%しか持ってない現状では到底期待できない。「(国債を持っていない)外国にも迷惑がかかる」という状態にならない限り外国からの介入はなされないし、日本国民も受け入れないだろう。つまり、この件に関して大改革が期待できるのは、日本政府破産&日本国債デフォルト 後である。

 「日本国民の個人金融資産は1400兆円もあるからまだ大丈夫」?
 それは国民の資産であって政府の資産ではない。アンタの資産は「政府の負債が凄くて払いきれないから」などという理由で取り上げられて構わないモノなのかね?

 「国債持ってないから関係ない」?
 銀行はどこもあなたの銀行預金を国債に変えて持っている。

 「預金を含め資産を何も持っていないから関係ない」?
 前述の通りこの狭い国の中で950兆円の債権が「なかったことにされる」影響は甚大だ。簡単な例で言えば、皆が貧乏になったら商売なんか成立しなくなるし、勤務先が倒産したり、燃料や食料等あらゆるものが輸入されなくなる、、、と考えていけば影響があることが分かるはずだ。

 いいとこ後2〜3年じゃないの。今のように「増税反対」なんて脳天気なこと言ってられるのは。

 何。「お前は増税に賛成なのか?」だって。冗談じゃない。増税なんかしたって税収が逆に下がって終わりでしょ。
 「増税反対」なんてヌルいことを言っている場合じゃない、どういう形にせよ近いうちに起こる「日本危機」に対応しなきゃならん、と言っているのだ。

 えっ。「国債をバンバン発行してでも公共事業をバンバンやれば景気が上向いて税収が増え国債を返済できる」って?
 アンタねぇ、そもそもそういう発想からこの1000兆円が産まれてきて、ここまで育ってきてるんじゃないの。それにこれだけ国債残高が膨れ上がっているこの段階でさらに上積みしたら、それ自体が信用不安の原因になるんじゃないのかね?
 しかし国民の意向と関係なく、震災関連で公共事業に限らず国債発行を伴う財政支出は今後増加せざるを得ないのではないか。個人的には東日本大震災は日本政府の破産のきっかけになったのではないか、と思っている。

 まぁ、バブルで「土地と株式は未来永劫値上がりを続ける」、遡れば第二次世界大戦で「日本は神国で不敗だ」と信じていたことと同じことを経験することになるだろう。遠い目で「国債がどれだけ増えても日本政府だけは破産しないなんて、あの時はどうしてあんなこと信じてたんだろうねぇ(^_^;?」って。
 まぁ現実に向き合うのに時間がかかる、ってぇのは分からんでもない。しかしその時間の間にも損害は増え続けるのだ。可能であれば現実に向き合うのは早い方が良いと思うけどね。今日も福沢諭吉君たちは悲壮な覚悟で故国の大空に、南洋の海に、帝都の猛火に散り続けているのだ。

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2012年5月 5日 (土)

アポロ11号は月に行った

 なんで急にまたアポロ計画陰謀論がmixiの日記でやたら話題になっているのだ?と思ったら元記事があった。

》人気コミック「宇宙兄弟」の同名実写映画化作品が、明日5月5日
》から公開になります。

 宣伝かよ!

 んで、馬鹿馬鹿しさに輪をかけるのが捏造論を支持する日記の数々。

 コメントで科学的証拠を挙げて説得する人もいるが馬耳東風。まぁすでに世の中にゴロゴロ転がっている証拠を無視できる程に低い検証能力と強い思い込みから捏造論を支持しているわけだから、証拠を拾い上げて目の前に突きつけたからと言って捏造論から離れるわけないわな。
 電力会社が「原子力発電所は安全です!」と言い切るだけで信じちゃう人がたくさんいたのも無理はない。

 別に何を信じていようが勝手なんだけど、人に迷惑かけるなよ、、、ってその程度の脳味噌で勝手にやるんだから、福島第一原子力発電所事故の件を挙げるまでもなく、「迷惑かけない」なんて思っていたってかけられるんだろうな。

 この手の人間と同じ地球上に住んで、民主主義では建前上同じ重さの一票を持っているんだから難儀なことだ。

》アポロ11号で人類が月に降りたのなら、 何故その後一度も行ってないのか?

 行ってるって。アポロ12号、アポロ14号、アポロ15号、アポロ16号、アポロ17号。アポロ11号を合わせて全部で6回も行った。

 アポロ計画が終わって以後なぜ行ってないかって?
 お前よぉ〜NASAが打ち出の小槌を持っていると思っているのか。月に人類を行かせるのにどれだけ費用がかかると思っているんだ。
 当時は冷戦下で「アメリカ合衆国がソビエト連邦に対して科学的に優越している」ことを宣伝する必要があるという特殊事情によって行なわれたんで、無論科学的な業績も大きかったけどその莫大なコストに見あうものじゃなし、何回か行って宣伝効果が薄くなってしまえばコストばかりが目立ってきた。だからアポロ17号が最後になっているわけだよ。

 技術やノウハウってのは使われなくなった途端に失われ始める。だからキョウビ蒸気機関車や機械式時計の整備だってなかなか大変なのだ。戦艦大和の測距儀は製造した当のニコンが「あれは、いまもうちょっとできないね」(長岡正男の発言、小倉磐夫『国産カメラ開発物語』P5)と言っている。
 そのことから類推するに人類を月面に送り込む技術やノウハウだって、使われなかったこの30年で随分錆び付いたハズだ。

 30年前に月に行けたからと言って、今行けるわけではない。技術は進歩した部分もあるが、難儀になった側面もいっぱいある。軽々しく言うなや。

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2012年4月13日 (金)

「沢田教一はニコンを愛用した」は嘘

 親父がニコンFEを購入した時に貰えたと思われる『ニコンの世界』は小学生の頃の△11の愛読書であった。

 この本がニコンに対する憧れとか欲望を増殖させたことは間違いない。しかし、ニコンが世界最高のカメラだと思えるようになったかと言うとそうではなかった。
 一つは何人もの有名カメラマンが連ねた寄稿であった。ニコンF以後使い始めたであろう若手のカメラマンにはそんな空気はないのだが、ニコンS時代を知る年配のカメラマンの書いているのを読むと「本当はライカやコンタックスが欲しかったけど、、、ニコンは安かった割に使えたねぇ」としか読めなかった。実際そう書いていたのだろうし。
 もう一つが今回話題にする沢田教一の件である。このような記述がある。

》1971年度(ママ)のピューリッツァー賞も、ニコンによる作品
》に授与された。ベトナム戦線において取材にあたったUPI通信の
》沢田カメラマンの『安全への逃避』という力作である」
(『ニコンの世界』P18)

001_2  実際には沢田教一がピューリッツァー賞を受けたのは1965年であり、また『安全への逃避』そのものではなくそれを含む写真集について受けたのであるが、それらは横に置くとして。

 フリージャーナリストの青木冨貴子はこの日本光学工業の主張と真っ向から矛盾する話を書いている。

》(△11注:数少ない日本人の友人である上野義良が日本製カメラ
》のセールスでサイゴンに来たが)いくら勧めても沢田は決して日本
》のカメラを使おうとしなかった。
》「日本のカメラは写りが悪い」
》「日本のカメラを使うと壊れちゃうんだよ」
》といつもケチョンケチョンにけなすのだった。
》沢田にとって良いカメラとは、まず第一に壊れないカメラのことだっ
》た。戦場での写真には、ライカとともにニコンを一台下げているも
》のがある。ジャングルで取材中に、このニコンが壊れて使えなくなっ
》たことがあった。
》「こいつのおかげで、今のショットを撮り逃がしたんだ」
》ニコンを地面に投げつけながら、珍しく沢田は声を荒げて怒った。
》いらい、沢田のライカ信奉は、ますます確たるものになった。
(『ライカでグッドバイ』P155)

》世界報道写真展大賞を初めて受賞した時、ハーグの取材陣は競って
》「どんなカメラを使っているのか」と質問した。当然、彼らは日本
》人カメラマンの口から、ニコン、キヤノンといった答えが返ってく
》ると期待した。が、沢田は決まって「ライカ」と言うのだった。喜
》んだライツ社は、プロット・タイプのカメラやレンズの現場テスト
》を頼むようになっていった。
(『ライカでグッドバイ』P157)

 高校時代の同級生で写真部長だった藤巻健二からニコンFを渡され所有していたのは事実である。

》「ライカじゃ望遠レンズを付けられないし、ボディもシルバーでピ
》カピカ光るから戦場じゃ目立って危ない。“こっちのほうが安全だ
》ぞ”って、発売されたばかりのブラックボディのニコンFを持たせ
》て、換わりにライカM3を預かったんです」。
》そう語るのは、現在も青森市内で写真店フォト・フジマキを営むカ
》メラマンの藤巻健二さんだ。(中略)
》 「同級生の間では通称“沢教(さわきょう)”って呼ばれていたん
》ですが、ある時ふらっとやって来て、訊けば“ベトナムに行く”って
》言うから驚きました。
一台のライカが駆け抜けてきた記憶。|とうほく唯物論|東北ライブラリー|BBっといー東北(別サイト)

 これはいつのことだろう。これらの文章だけ素直に読むと、沢田教一が最初にベトナムに渡る1965年2月の直前とも思えるが、よく読んで行くと、以下の下りでピュリッツァー賞を受賞した1965年12月より後の話であることが分かる。

》ずっと沢教を知っていても当然、彼が戦場に行ってピュリッツァー
》賞を受賞するなんて思いもしませんでした。(中略)高校卒業以来、
》沢教は一度も同窓会に参加しなかったから、本当にどこか遠い世界
》で、ある期間のうちに起きた出来事という印象がありました
一台のライカが駆け抜けてきた記憶。|とうほく唯物論|東北ライブラリー|BBっといー東北(別サイト)

 すなわち沢田教一が藤巻健二に語った「ベトナムに行く」というのは二度目となる1970年1月のベトナム渡りのこととなり、そうなれば『安全への逃避』撮影時に藤巻健二から渡されたニコンFは持っていなかったことになる。

 青木冨貴子の取材でも同様である。こちらは具体的に1969年12月としている。

》一九六九年十二月十五日、香港からサタ夫人を伴って羽田空港へ降
》りたった沢田は、十八日の夜行列車で青森へ向かった。三年ぶりに
》故郷の地を踏んだカメラマンは、卒業以来初めて十数年ぶりに中学 
》校時代の教師、高校時代の同級生に会っている
(『ライカでグッドバイ』P214)

》「沢教が帰ってきたぞ」と集まった青森高校の同級生五人は暮れも
》押し迫る頃、このホテルのバーで卒業以来初めて沢田に会った。こ
》の席でも、沢田は再び戦場へ行くと口にしている。
》「やめろ、やめろ」
》同級生たちは口々に反対した。特に東奥日報写真部を経て、市内に
》カメラ・ショップを出す藤巻健二は「戦争写真はわりにあわないじゃ
》ないか」と強く止めようとした。
(『ライカでグッドバイ』P216)

002_3  ウェブ上には「『泥まみれの死』はニコンFで撮られた」とする説がある。しかしこれは上述の通り全く根拠がない。

 逆に、ライカで撮影したとする根拠はある。沢田教一本人が『泥まみれの死』撮影時の状況をUPIの同僚であった赤塚俊介に対して以下のように語っているのである。

》「僕はあの時90ミリのレンズで戦車(△11注:実際にはM11
》3装甲兵員輸送車)を撮ったんだ。AP(△11注:ライバル関係
》にあったAP通信のエディ・アダムス)は50ミリで撮っていた。
》僕の方がAPよりちょっと長かったから良かったんだよ」
(『ライカでグッドバイ』P107)

 90ミリなぞFマウントの純正レンズにはない。ニッコール全部に拡げたとしても△11が今思いつく限り大判用の超広角レンズSWニッコール90/4.5があるだけだ。また沢田教一が使っていた機材のリストにはズミクロン90/2が入っていた。

 それとも青木冨貴子が「ライカでグッドバイ」に書いたことがデタラメなのだろうか。
 個人的にはそうは思わない。無論全部が全部正しいとも思わないが、「沢田教一が代表作にニコンを使っていた」旨主張する各種の記述より格段に具体的で詳細だからだ。

 そもそも『安全への逃避』がニコンで撮影されたと日本光学工業が主張しているその根拠は何なのだろうか。△11が調べた限りでは何も出てこない。根拠なしに主張したのであれば「でっち上げ」である。
 『ニコンの世界』には1976年発行の初版からこの記述がある。ニコンFの圧倒的な成功 を背景に1971年ニコンF2を発売して5年、まさに「世界のニコン」「報道のニコン」の最盛期である。にも拘らず、未だ自社製カメラに心底からの自信と 誇りを持てていなかったのであろうか。

 ところで「戦場での写真には、ライカとともにニコンを一台下げているものがある」という記述について。三宝カメラは

》青木富貴子著「ライカでグッドバイ」には、肝心のシャッターチャ
》ンスでニコンFが故障し、怒った沢田教一カメラマンがニコンを投
》げ捨てる記述が認められる。
昭和のアナログ ニコンページ(別サイト)

 と勝手に文章を変造しているが、「ライカでグッドバイ」原文に機種に関しての記述は一切ない。

Sawadawithnikonf_2  写真を色々見ていると、例えば左のようにニコンFブラックを提げた写真と、ニコノスを提げた写真があるので、全く使わなかったわけでもないだろう。
 オートニッコール135/3.5だろうか、かなり長い望遠レンズがついているようだ。この領域になるとM型ライカで使うのはかなり大変で「写りが悪い」「壊れちゃう」などと言っていられなかったのかも知れない。

 日本光学工業はその後も同種の話を書いている。

》70年度ロバート・キャパ賞がUPI沢田教一に与えられたが、彼
》らの愛機はいずれもニコンであった。
(『新・ニコンの世界』P37)

 特別ライカを愛用し日本製カメラを嫌悪していたことが明らかな者について、根拠もなく「ニコンの愛用者だ」というのは問題があると思う。
 もう死んでしまって、訂正する手段がない沢田教一に代わって△11は主張したい。

 沢田教一の愛機はニコンだったか?
 否、ライカだった。

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2012年4月12日 (木)

高橋製作所 90F型鏡筒

 登場した当時はF15が普通の世界であったからこれでも短焦点であったと思うのだが、世の中の短焦点化は凄まじく、あっという間に「螢石を使いながら無理のない長焦点に留めたため非常に高性能」という感じの扱いになって行った。1970年代に育った人たちには思い入れが濃そうな筒だ。

 個人的にはFCシリーズのF8が標準の世代なのでそこまでの思い入れはなく、五藤光学 8cmF15標準アポ(△11の天文台)が入手できたこともあり、他にもっと持っていたい人がいれば、と手放した。

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2012年4月 9日 (月)

ニコン AiニッコールED300/4.5S(IF)

 これは結構最近ほんの少しの間だけ手元に置いた。EDを示す金ラインの入ったレンズを持ってみたい気持ちはあったが、ずっと持っている気は最初からなく、やっぱり全然撮影せずに売ってしまった。
 使わない焦点距離で、φ72で、となればシステム上収まりが悪いのである。

 しかしインナーフォーカスを採用し非常にピントリングが軽く、また通常よりぐっと短い最短撮影距離2.5mを実現した意欲作だったとは思う。△11のシステムと合わないだけだ。

 後継はAiAFニッコールED300/4(IF)ということになるが、これはφ82になってしまった。

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2012年4月 8日 (日)

ニコン Ai改ニューニッコール300/4.5

 新潟在住時代に買ったと思うのだが、この時代の△11としては珍しいことに、どこで買ったのか全く記憶にない。動機も「使わないと思うけど一応焦点距離を持っていたい」程度であった。

 お店ではAiとして売っていたのだが、後になってから現物をよく見たらニューニッコールのAi改造版であった(T_T)4949

 当然のように使わない上にφ72なのも困り、ずっと前に放出した。しかし実にどこで放出したかも覚えていない。写真も残っていない。最初から最後まで継子扱いで申し訳なかったと思う。

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2012年4月 7日 (土)

バー&ストラウド 7×50

Prism11_vyb05736img450x600133256736  バー&ストラウド、知っている人は少ないのかも知れないが、イギリスの代表的な光学メーカーの1つである。「武式1米半測距儀」と言えば当時は標準機材、戦 艦三笠にも搭載されていたのは有名な話。スペルは「Barr & Stroud」で当時は「バー アンド ストロード」と表記したようだ。
 ボシュ&ロムに代表されるアメリカ製や、ツァイスに代表されるドイツ製とはまた全く違う趣がある。

Prism11_vyb05736img600x450133256736 この個体はイギリス海軍からの放出品と聞いた。イギリス政府所有物にお約束の↑マーク入り。窒素封入用と思われるバルブがついていたり、濃霧時用と思われる黄や緑のフィルターがワンタッチで入る辺り、世界の海を制したイギリス海軍用らしいところだ。

 一度イギリス製の双眼鏡に触れてみたくて購入し、満足したので手放した。

 

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2012年4月 6日 (金)

ニコン メディカルニッコール200/5.6C

 昔ニコンのレンズを一通り揃えるのが夢だった頃、特別な憧れがあったのが「役物ニッコール」である。一番身近なのはズームとマイクロだが他にED、レフレックス、PC、メディカル、ノクト、UVなどずらっと並んでいた。

Prism11_vyb05736img450x600133256928  そういうわけで「一度は持ってみたい」というだけでジャンク扱いで買った。これもニコン リプロキットPF型と同じ大学のゴミ捨て場出身。保証書はそのすぐ近くのカメラ屋の名前が入っていた。

 電源コードが紛失していたので内蔵リングフラッシュの発光テストができない。セットにはSR−2も入っていてこちらは手持ちのシンクロコードで光った。

 一度も撮影しないまましばらく持っていて、満足したので手放した。

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2012年4月 5日 (木)

ニコン リプロキットPF型

Prism11_vyb05736img600x450133257426  Fマウント用の最初のコピースタンド。後継はPFー2、PFー3、PFー4と出たが、このように収納できてしまうのはこれだけのようだ。

 コピー機やデジカメが出て来てコピースタンド自体の 需要がなくなったのか、PFー4もすでに製造中止になった。

 収納状態ではただの木箱である。携帯できるし収納場所を取らないのは素晴らしい。

Prism11_vyb05736img600x4501332574_2 いかにも古い光学装置にあるフックを2つ解除し、箱を開くと、中にはシャフト2本を含む部品群が出てくる。

 箱は背中合わせにフックを掛け、そのまま複写台となる。穴にシャフトをねじ込み、シャフトを継ぎ足し、、、と中の部品を組み立てていく。

Nikonreprokitpftype2  と、複写装置になる。Sシリーズ用のリプロキットP型は無垢板とのことだがこれは合板で、角から少しずつ崩れ落ちてくる。
 PFー4のカメラホルダーが平らでネジ1本に対して、リプロキットPF型はボディーを包むようなホルダー、新しい機種への対応は良くない。

 昔憧れた大学のゴミ捨て場出身ってのもポイントだった。どこかの研究室で使われていたのだろう。用途がないので売ってしまったが、しかし立派なものであった。

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