2013年7月 7日 (日)

特別攻撃隊

 曰く「狂気の沙汰」、曰く「戦後の繁栄の礎」。
 曰く「戦力の無駄遣い」「アメリカの戦争継続をほとんど不可能なところまで一時は追いつめた」。
 曰く「強制もあった」「志願制であり、実際の実質も全部志願」。
 これまでに散々色々な評論を読み、聞いて来た。

 それなりに考えはまとまっていたが、やはり何か書くならあの場所に行った上でなければ無責任になるとも考えていた。その場所とは、知覧特攻平和会館、鹿屋航空基地史料館、万世特攻平和祈念館である。

 遺影と遺品に埋め尽くされているフロアーに身を置いてみて、それまでの考えはやはり大筋では変わらなかった。

 一つは、特攻を考え指導した軍の首脳と、隊員で分けて考えねばならないということだ。一番端的なのは天皇の

》そのようにまでせねばならなかったのか。しかし、よくやった
(安延多計夫『あゝ神風特攻隊 むくわれざる青春への鎮魂』P32)

 という言葉で、よくその複雑さを表しているように思う。これを言われた大西瀧治郎は叱られたと感じたと言うが、実際隊員については賞賛したと同時に、軍の首脳に関しては叱ったのだと思う。

 そして少なくとも隊員たちについては「狂気の沙汰じゃなかった」ということだ。何を守ろうとして飛び立ったのかは人それぞれかも知れないが、自分の守りたいものを守るためにはどうすれば良いのか静かに考え、軍の上司が特攻が必要だと結論した以上それに殉じようと考えた人たちがたくさんいたということだ。発進から数時間もあるのに、冷静でなくて突入できるものか。

 もう一つは、それでもやはり「戦後の繁栄の礎ではない」ということだ。真面目で誠実だった彼らが生き残って戦後の復興に力を尽くしたなら、さらに復興は早く進んだに違いない。戦争は負けると分かった時点で無条件降伏であれ敗戦という形で終結させるしかなかったものを、この国の当時のリーダーが手間取ったがためにそういう形に追い込まれたのだ。その死を「無駄だった」と考えたくないのが遺族感情だろうが、やはり無駄になったと考えるしかないし、そう考えないのは危険な美化である。
 無駄でなかった、有益な死だった、と本心から言い張るのであれば、その成果と引き換えに生きて帰る可能性がある時にそれを望まないはずである。しかし生きて帰らせることができたとしたら、それを望まなかった遺族はないだろう。

 強制/志願については、こう考える。
 企業に「サービス残業」なるものが横行し、天皇の死後や大震災後に遊びを「自粛しろ」と言われるこの国で、一体「志願制」というタテマエを無邪気に信じる者がいるとしたら、それはかなり世間知らずなのではないか。
 確かに心底志願した人たちも多数いただろう。それまでに「鬼畜米英」と教えられ、実際にアメリカ軍には無差別絨毯爆撃など幾多の国際法違反があった。そのアメリカ軍が圧倒的な戦力で日々刻々攻め上げて来る。戦友が「先に行く」と我先に飛び立って行く。未熟な自分たちに他の方法はなさそうだ。その状況で特攻に志願するのは自然なことだったのだろう。しかし彼ら全員がそのように思ったとは限らない。
 実際知覧で流されていたビデオで、富屋食堂の女主人で特攻隊員の世話をして「おばさん」「おかあさん」と慕われた鳥濱トメさんが宮川三郎軍曹との会話を語っているが、その中に宮川三郎軍曹が「僕は帰って来る」と言ったので鳥濱トメさんは「そんなことを言ったら憲兵に捕まってしまうよ」と心配した、という場面が出て来る。当時の雰囲気では到底そんなことは言えない雰囲気だったということだ。実際にはこの話は「特攻で戦死して蛍になって帰って来る」という意味なのだが、完全な志願であるというのであれば、出撃までに「やっぱりさすがに絶対に死ぬことが決まっている形で行くのはなぁ、、、」というのも、好ましくはないまでも、最終的には許容されて然るべきではないのだろうか。
 また純粋に志願した人たちも、何らかの形でその後の状況を見たらどう思っただろうか。機材故障で帰還し再度の出撃を懇願した隊員の中には上官に罵倒された者もあったという。日本は無条件降伏し、「鬼畜」であったはずのアメリカ兵はチョコレートやキャンディーを子どもたちに配りながら進駐し、各地で歓迎された。若い女性の一部はアメリカ兵の売春婦になって生き存えた。「我も後に続く」と言って特攻を命令した軍のトップは、自刃した大西瀧治郎(敗戦当時軍令部次長、海軍中将)、突入した宇垣纏(敗戦当時第五航空艦隊司令長官、海軍中将)など少数の例外を除き、そのほとんどが天寿を全うした。ある者はアメリカのご都合により進められた再軍備組織自衛隊の幹部として、またある者は無条件降伏した経緯から終始アメリカの意向を酌まざるを得なかった日本政府の政治家として、である。

 戦果についての評価は、今でもどう考えれば良いのか分からない。
 精神的には、大きいのかも知れない。アメリカ軍人は、生きているパイロットが乗ったままの飛行機が躊躇なく突っ込んで来る恐怖について語っている。今でもアメリカがアジアの国への経済制裁を躊躇するのは、この件とベトナム戦争があるという。「アジア人を怒らせるととんでもなく恐ろしいことをするんだ」という恐怖を植え付けたということだ。
 実質的には、その戦果はその損害に対してあまりにも少ない。特に後になるに従いアメリカ側は戦闘機とレーダーと対空砲火で特攻対策をしたのに対し、日本側は新鋭機がなくなりパイロットの練度は低くなり、、、ほとんど戦果は挙がらなくなって行く。これに関しては特攻を主体とする幹部に対して、芙蓉部隊を率い夜間戦闘を行なって成果を上げていた美濃部正海軍少佐が階級差も省みず言った言葉が端的であろう。

》現場の兵士は誰も死を恐れていません。ただ、指揮官には死に場所
》に相応しい戦果を与える義務があります。練習機で特攻しても十重
》二十重と待ち受けるグラマンに撃墜され、戦果をあげることが出来
》ないのは明白です。白菊や練習機による特攻を推進なさるなら、こ
》こにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょ
》う。私が零戦一機で全部、撃ち落として見せます。

 本来航空機の操縦は難度が高く、まず飛んで降りるだけでも大変である。そもそも通常攻撃をするだけの兵力養成が間に合わないから特別攻撃という話になったのに、兵力を使い捨てするこの作戦には矛盾がある。

 ただし個人的に美濃部正の主張に全面的な賛同をしているわけではない。
 
美濃部正は一概に特攻を否定しているわけではなく、この時点で「特攻しかないなら仕方がないが、特攻より戦果を挙げられる方法がある」という主張である。
 △11の主張は「特攻なんかを考慮せざるを得ない状況なら無条件降伏しなければならない」であり、本質的にはかなり違う、、、というよりそもそも立ち位置が違うのだ。

 結局そもそも大西瀧治郎自ら「特攻は統率の外道である」と言っていた特攻について成果を評論する意味はあるのだろうか、というのが△11の考えだ。

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2013年3月14日 (木)

「馬力」には3種類あって、それぞれ別の単位である

 昔の自動車関係の書籍を読んでいて思うのは、

・英馬力=HP(英語:Horse Power)
・仏馬力=PS(ドイツ語:Pferdestärke)
・日本馬力

 の3つの単位の違いが意識されていないのではないか、ということだ。同じ記事でHPとPSが同じ数値で混在していたり、HPの訳語として馬力を使っていたりする。

 今更当たり前のことを書くようだが、英馬力、仏馬力、日本馬力は違う単位である。
 取引で、米ドルと契約書に書いてあるのに、香港ドルで支払っても大丈夫だと思う馬鹿がどこにいるだろうか。しかし自動車出版業界でエンジン出力を記載する際にはまかり通っていた。今でもその影響は一般人にもかなり残っている。

 メートル法のみにどっぷり浸かって出たことがない人には分かりにくいかも知れないが、同じ呼び名の単位が地域によって、用途によって少し違うというのはよくあることだ。有名なのを挙げるが、他にもある。
 例えば長さの単位。フィートには国際フィートと測量フィートがある。
 例えば体積の単位。ガロンには英ガロン(4.54609リットル)、米液量ガロン(3.785411784リットル)、米穀物ガロン(4.4048428032リットル)がある。
 例えば重量の単位。常用オンス(28.349523125g)とトロイオンス(31.1034768g)がある。
 例えば速度の単位。ノットは1マイル/hだが、その1マイルが、、、まぁ事実としては国際海里=ノーティカルマイル(1852m)でほぼ統一されているのだが、色々ある。

 面倒臭いな。それだけじゃなく危ないじゃないか。そう言えばイランイラク戦争の時だったかに戦闘空域を避けるためコロンボに寄港して給油した機長が給油量の計算が合わずしばらく混乱したと述懐していたのを読んだことがある。機長が給油で考えている単位は米液量ガロンなのだが、設備側が「これだけ給油した」という数値は英ガロンだったというような話だった。

 そもそも、メートル法というものはそういう単位の差による面倒や錯誤を防ぐために策定されているわけである。

 自動車エンジン出力の話に戻る。
 「日本馬力」はメートル法に直すと750Wだ。しかし現在は使われなくなり、日本で「馬力」という場合には仏馬力を指すことが多いという。こういうのが一番混乱を招くのである。
 「仏馬力」はメートル法に直すと735.49875W、、、なのだが日本での仏馬力は735.5Wということになっている。換算を単純にするためだろうか。
 「英馬力」はメートル法に直すと745.69987158227022W。
 当然、外国語のデータでpsとあったのを日本語訳するなら「仏馬力」と書かねばならない。また海外書籍では小文字の表記もあるが、アルファベットで書くなら日本の計量単位規則により大文字でPSと書くことになっている。

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2012年12月26日 (水)

原子力発電所の廃炉は再稼働のための生け贄

 原子力発電所の敷地内に活断層が発見されたり、その疑いが掛けられたりしている。まぁ、いくつかは再稼働が遅れるかも知れない。廃炉になるかも知れない。

 しかし、騙されてはいけない。

 次に出る話は「ここは危険だったから廃炉にした。ここは安全だから稼働しても問題ない」という論理が付属した再稼働だ。
 そんなのは破綻した屁理屈だ。安全な原子力発電所なんぞないのだ。稼働する施設は必ず事故を起こすのだ。だから、その発電所に存在する核燃料の全量が環境に放出される大事故を想定して、それについての避難や賠償のシステムを考え、それに国民と地域住民が同意し国際社会が容認しない限り全数を廃炉にすべきなのだ。
 それを想定しない限り後で「想定外だった」などという寝ぼけた話になる。

 そんなことはできっこない?
 そうでしょうそうでしょう。だからこそ「原子力発電所なんか稼働できないでしょ」と言っているわけだから。

 自動車や飛行機や船舶も事故を起こすけど安全性を向上しつつ使われているじゃないかって?
 そりゃそうでしょ。事故の危険を差し引いても、それ以上に便利だからね。
 例えば。ボーイング747は仕様にもよるが約500人乗りである。これを開発した段階で「一度に約500人が死亡するような航空事故」は想定されていなければならない。当然だ。ボーイング747には開発当時としては優れたフェイルセーフ機構が備えられたが、フェイルセーフで危険性は減らせても安全にはならない。やはり事故は起きる。すなわち人類は事故1件で約500人が死亡するような航空事故と引き換えにでもボーイング747を使う、という選択をしたのである。
 実際には、他にも選択肢はあった。「250人乗りの中型旅客機を倍数運行する」という選択肢。「125人乗りの小型旅客機を4倍数運行する」という選択肢。「チケットが例えば100倍の価格になってもいいから安全性に万全の配慮をする」という選択肢。「旅客機を運行しない」という選択肢、、、
 ただ旅客機を小型にすることで事故1件当たりの事故犠牲者の数は減らせるが、航空事故犠牲者の総数を減らせるかどうかはまた別問題だ。大きい旅客機に技術と資源を集中した方が危険性を減らせるかも知れないからだ。
 チケットを100倍の価格にして事故対策に万全の配慮をしたからといって事故はなくなるわけではない。減らせるだけだ。また実際には航空機業界自体が縮小しスケールメリットがなくなることでコストが食われてしまい、事故対策に回すどころではなくなるかも知れない。どちらにせよ「旅客機を運行しない」という選択肢とともに事実上不可能だろう。
 別に決議を採ったわけでなくても、人類はボーイング747の運行を決めた時点で、1回の事故で約500人が死ぬ事故を容認していたわけだし、そうでないなら単なる「安全神話」という名の思い込みに過ぎないのだ。
 個人的に「旅客機に乗らない」という選択をしている人もいることだろう。しかし現状旅客機は世界一安全な乗り物なので、「旅客機に乗らない」という選択をした人は、旅行をしないか、旅客機より危険な乗り物に乗る羽目に陥っているはずだ。

 原子力発電所も、事故処理と放射性廃棄物処理のコスト以上のメリットがあるなら稼働すればいいよね。金銭コストだけじゃないよ。生命、身体に対するコストも含めて、だよ。「狭い日本、国土を汚してどこに住む?」と思うけど。
 特に30〜50年冷却しながら保存し、その後数万年管理しなきゃならん放射性廃棄物処理をしなきゃならんことを差し引いて残る利点が何なのか聞きたいものだ。

 実際には、原子力発電を推進する人たちは知っている。将来原子力発電所が再び、いや福島第一発電所の事故よりもっと大規模な事故を起こすことも、その処理ができっこないことも。ただ自分が生きている間、いや自分が責任を追及され得る立場にいる間、それが起こらないことに賭けているだけである。

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2012年7月12日 (木)

福祉関係者は事故対策を航空業界に学べ

 介護で働いている時、申し送りで事故の報告があるとする。その申し送りの締めに介護主任が「皆で事故に気をつけましょう」というコメントをして申し送りが終了することがよくあって、△11はこれが嫌いだった。

 誰だって事故は嫌だから、事故の前だって、皆自分の能力の範囲で気をつけていたはずである。
 例えば「人員配置が悪い」とか、「確認事項が多い上に確認システムがちゃんとしていない」とか、何か「皆で事故に気をつけ」てもカバーできない問題があるから、事故が起きているわけなのだ。

 そこでのコメントが「事故に気をつけましょう」ということは、論理的可能性として

・介護主任は「皆が故意に集中力を下げていた」と認識している。
・介護主任は事故対策をする気がない。

 のどちらかしかない。

 「んな細かいこと、揚げ足取りだ」と言う人も多いかも知れない。

 しかし、本当に事故を減らしたいのか。
 減らしたいならば、人間に無限の集中力を要求してはならない。人間の集中力が有限であるという厳然たる事実を直視し、その有限な集中力をどう活用すれば事故に繋がらないようにできるのか考えて指示を出すべきだ。

 どうも「事故に気をつけましょう」に限らず介護業界には、「私は事故が起こらないように対策しました」と言えるためだけの対策が多いように思う。
 本当は、例えもしそれが他の職場との広範な連携が必要になり一時職場で「面倒臭いこと言い出しやがって」と思われ疎まれるような内容であっても、例えもしそれが周囲の素人、、、警察、報道、野次馬その他もろもろ、、、から「おぃおぃそんなことやったから事故が起きたんじゃないのか」とか「マヌケかつ事故対策と関係がない」と思われそうな内容であっても、実際に事故が減る対策を断行するのがプロの役割じゃないのか。

 △11が見る限り、そういう「実質の事故対策」というものが一番生きているのが航空業界だ。

 例えば自動車業界、鉄道業界、船舶業界、山岳業界と事故対策が課題の業界は他にもいっぱいあるが、なぜ航空なのか。
 これは簡単。航空業界が一番「本来は危ないこと」をやっているからだ。航空機は、燃料を使って金属の塊を空中に浮かべている。そして矛盾を含んだ難関「着陸」を乗り越えないと安全な状態に移行できない。色々な危険因子が時間制限つきで変化し、その中で適切に対応しなければ絶望的な状況に直結する。
 そんな中での安全対策であるから、実質を伴わないタテマエなんか言ってられない。是が非にも実質的な対策を採らねばならない現実が目の前にあるのだ。
 航空業界の人が書いた事故に関する対策で「皆で事故に気をつけましょう」なんて甘っちょろいことが書かれているのは見たことがない。
 そうやって実質の事故対策に邁進してきた結果、数ある輸送手段の中で一番「本来は危ないこと」をやっている航空機が、実際には一番安全である。

 だから、何もせず「事故に気をつけましょう」と内輪のナァナァで済ませて行くことも可能な介護業界にあって、それに甘んじたくない人は、介護業界の事故対策を勉強した上で航空業界の事故対策も勉強すると有効だと思う。「どうしてそういう選択をしたのか」「本当の事故対策とはどういうものなのか」、その通底に流れる思想を航空業界から汲み取るのである。

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2006年9月 7日 (木)

旋回するということ

 自転車で速く走れる、もしくは昔走れたことのある人は同意してくれると思うのだが、後輪に乗っている感覚で走っているのではないだろうか。前輪は補助輪みたいなものだ。

 スキーなら旋回の際外側になる板の内側エッジに乗っている。
 「2本の板が絡まる」という相談を受けることがあるが、それは加重が内側板に残っているからである。
 本来外側板の内側エッジは著しい加重で雪面に押し付けられているから、加重の抜けた内側板がその下に入り込む余地はなく、2本の板が隣り合っていても絡まる心配は無用である。
 余談になるが、体重と遠心力の全てを外側板内エッジに乗せ、加重が完全に抜けた内側板は自然に浮いて外側板の横に落ちて来る、これがパラレルターンである。「板が揃わない」そんなことを悩む必要はない、板は揃えようと思って揃えるものではなく勝手に揃ってくれるものだ。
 もう一つ余談になるが、△11が「安全な範囲でスピードを出せ」というのは、この完全に外側板内側エッジに乗る感覚を身につけるためだ。スピードが出ていない状態で片方の板に乗り切ることは難しい。
 リズムに乗ってハイスピードで旋回出来るようになると、自転車なら後輪、スキーなら外側板内エッジというよく切れる刃物で何かを切っている錯覚に襲われることがある。

 ヨットではセンターボードが全くそれであった。
 メインセールが風を受けて船がヒールして行くのをハイクアウトで戻しながらも少し外側に傾いたままセンターボードを中心に旋回させるのである。自転車やスキーと違うのは、水の抵抗が大きく向かい風なのでブレーキは勝手に掛かるため、スピードを落とさないようコース取りし、タックを素早くする必要がある。

 バイクでも自転車と全く同じく後輪である。

 自動車は外側の後輪。ハイパフォーマンスドライブの際にはハンドルで曲がるわけではない。巧く説明出来ないが、ハンドルは加重移動に追従する結果なのである。

 実際に操縦したことはないが、フライトシミュレーターゲームをやっている限り航空機も全く同じ感覚だ。

 ジェットスキー、マリンジェットはこれに全く当てはまらず、ハンドルで旋回させるもののようだ。

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