2016年6月21日 (火)

日本海軍もアメリカ海軍も大艦巨砲主義から脱却したわけではない

 日本海軍は航空を非常に重視したを読んでか、どうも第二次世界大戦において「日本海軍は大艦巨砲主義でなかった」「アメリカ海軍は大艦巨砲主義から脱却した」と主張する人がいるようだ。

 言うまでもないが、これも大きな間違いである。

 航空主兵は、当時の日本海軍では主流の考え方ではない。
 侵攻して来る敵艦隊を航空機や潜水艦などの補助兵力で削り、日本近海で戦艦により艦隊決戦を行なう、というのが当時の海軍の主流の考え方であった。
 だからこそ連合艦隊司令部は真珠湾攻撃もミッドウェー海戦も、その実施に当たり軍令部と激しく対立し、最終的にはどちらも山本五十六が「この作戦が認められないのであれば司令長官の職を辞する」と軍令部を恫喝してまで無茶通しするハメに陥ったのである。

 「アメリカはとっとと大艦巨砲主義から脱却した」も間違い、、、とまで言うと言い過ぎかも知れないが、そんなに褒められたものではない。
 アメリカが航空兵力を重視するようになった理由の一つは「アテにしていた戦艦戦力が真珠湾攻撃でなくなってしまったので、手持ちの兵器で戦うしかなくなった」ということが挙げられる。手持ち兵器とはすなわち重巡洋艦と空母であり、実際目の前には日本海軍が真珠湾攻撃で出した実績「航空機の魚雷攻撃で戦艦を沈めることができる」が存在していた。
 また工業力が日本とは段違いに高かったため、戦艦と空母の両方を並行して製造できた。
 終戦時にアメリカにどれだけの戦艦と空母があったか見てみると良い。「アメリカは大艦巨砲主義から脱却した」のならばそこには空母と、航空艦隊護衛に使う巡洋艦や駆逐艦のみが並ぶはずなのだが、「アメリカは大艦巨砲主義から脱却した」などと口に出すのも恥ずかしいだけの立派な戦艦の数々も並ぶのだ。

関連記事:
2つの大艦巨砲主義
日本海軍はアメリカとの国力差を克服する方法を考えていた
日本海軍は航空を非常に重視した

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2014年1月 9日 (木)

登山におけるレインウェア、2014年01月版

この記事は新版、登山におけるレインウェア、2016年05月版に改訂済。

 改めて考えてみるとある意味不思議ではあるのだが、△11は登山用のレインウェア、というとモンベルしか考えたことがない。無論他のメーカーも出しているのだが、どうしてモンベルしか考えていないのだろうか。でもまぁ理屈屋で高級ブランド志向の△11がその結論に至っているのであるから、それなりに理由はあるのだろう。

 少なくとも、日本の山で使う以上、日本メーカーの製品を選ぶしかない、とは思う。ここまで多雨の山岳は他にないと聞く。そして△11の持っているモンベル ストームクルーザー(△11のバックパック)と現行品を比較すれば随分変更点があることで分かる通り、モンベルがそういう環境の元で長年誠実に製品改良を繰り返して来たのは事実である。上下別売されるようになり、ウィンドブレーカーとしても使えるデザインになり、スナップボタン止めのフラップつきファスナーがアクアテクトジッパーになり、、、そういうわけで、誰かに聞かれても「モンベルを買え」としか言えない。ネットで見ていても「レインウェアはモンベルしかないでしょ」という雰囲気の記述は多いので、それで良いのだと思う。

 モンベルのレインウェア、と言ってもいくつも種類がある。「どうやって選ぶんだ?」と思う人もいるかも知れない。カタログを見ても違いが端的に書いてない部分もある。なので、きっちりカタログを読んで、端的な日本語に翻訳してみることにした。
 下記スペックは男性用から挙げたが、女性用も傾向は同じと思う。

 思考の出発点は定番のストームクルーザー。ロングセラーかつベストセラーなので何も考えたくない人はこれ。防水透湿素材はゴアテックス。ナイロン部分は30デニールのバリスティック。裾を絞りたかったら両ポケットに手を突っ込んで一番奥に出ている紐の端を持って引っ張ればおっけい。フードの調整も同様引っ張るだけ。前ファスナーは邪魔するもののないアクアテクトジッパー。パンツの裾にはゴム紐が入っていて、一箇所ループに引き出せる場所があるので引っ張り出して靴に掛ければ、ずり上がり防止と裾絞りの両方が同時にできる。ジャケット¥18k、280g。パンツ¥11.8k、200g。


 代表作だけあってサイズの揃え方も他のモデルより充実している。以下±の表記は対ストームクルーザー比。優越は青文字、劣後は赤文字

 もう少し安価なブツ?
 ゴアテックスでなきゃ、という人ならレインダンサー。裾やフードの絞りがワンタッチでなくなったりという装備簡略化がされている。またナイロン部分がバリスティックではなく、その分を穴埋めする太さの50デニールで耐久性はストームクルーザーと同等、糸が太いので少し重くなる。ジャケット¥13.9k(¥−4.1k)、330g(+50g)。パンツ¥9.9k(¥−1.9k)、230g(+30g)

 ゴアテックスでなくても安いのを、という人はサンダーパス。防水透湿素材に自社開発のスーパーハイドロブリーズを使っている。レインダンサーでなされた装備簡略化に加え、前ファスナーがアクアテクトジッパーでなく、ベルクロテープのついたフラップがついている形式なので、開閉時くっつこうとするベルクロを剥がしながらになるのは面倒。まぁ△11の持っているスナップボタンつきフラップよりはマシだけど。ナイロンは50デニール。ジャケット¥7.8k(¥−10.2k)、354g(+74g)。パンツ¥5k(¥−6.8k)、255g(+55g)

 

 スーパーハイドロブリーズとゴアテックスの差について詳細にはゴアテックスと類似品の差を参照。

 んで、普通の登山なら、ここまでの中から選べると思う。以下は特殊モデル。

 軽量モデル?
 ゴアテックスでなきゃ、という人ならトレントフライヤー。ナイロンはバリスティックで12デニール。ジャケット¥19k(¥1k)、205g(−75g)。パンツ¥13.8k(+2k)、165g(−35g)


 ゴアテックスでなくても、という人はスーパーハイドロブリーズのバーサライト。ナイロンはバリスティックで15デニール。ジャケット¥11.8k(¥−6.2k)、168g(−112g)。パンツ¥6k−5.8k)、93g(−107g)。強烈に軽いし、結構安価なので面白い選択だ。晴男晴女で「使ったことないけど持っているだけ持っていないとなぁ」とか、トレイルランで「ルールで持たなきゃイケナイ」という動機で買う人はこれだろう。

 ただし、軽いレインウェアには、生地が薄いことに起因する弱点がある。
 耐久性が劣るのが一つ。使用頻度の高い方すなわち雨男雨女や、△11みたくガサツで扱いが荒い人にはちょっと向かない。
 もう一つは、大粒の雨に叩かれた時に「叩かれている」感があって疲れる、という。この感じが分かる方も分からない方も、そういう意見がある旨納得した上で軽量モデルは選択して欲しい。
 もう一つ、これは生地の薄さと関係ない軽量化の弊害で、フードの収納がない。後ろにぶら下がっているので強風下ではバタバタする。

 特別耐久性が欲しい?
 ストームハンター。防水透湿素材はゴアテックス。ナイロンはぶっとい70デニール。ジャケット¥23.5k(¥5.5k)、455g(+175g)。パンツ¥13.8k(+2k)、300g(+100g)。「登山ガイドや山岳警備隊などプロ使用にも耐える」という。これを検討する方はアルパインウェアも考慮した方が良いかも知れませんな。普通の人の登山にはオーバースペックだと思う。これもサンダーパスと同様ファスナーが防水ファスナーでないベルクロつきフラップ式。

 まだモデルがある。

 レイントレッカーは防水透湿素材が通気性のあるブリーズドライテック。ジャケット¥10k(¥−8k)、325g(+45g)。パンツ¥6.8k(¥−5k)、245g(+45g)。通気性があるってことは、夏山なら少し涼しいけど、冬山だと寒くなるんじゃないかな。

 ハイドロブリーズレインウェアは安価だが、防水透湿素材はスーパーがつかないハイドロブリーズで、登山に使うのはちょっと性能に不安が、、、という人が多い。上下セット¥9.9k(¥−19.9k)、474g−6gでジャケットパンツのバラ売りなし。


 上の画像を見ていても分かる通り、最廉価のハイドロブリーズレインウェアを除くモデルはパンツがジャケットと同色でなく、黒またはそれに準じる濃い色だ。これによりモロ「レインウェアです」という顔ではなくなり普通の場面でも着られるようになっているし、汚れも目立ちにくくなっている。

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2013年7月 7日 (日)

特別攻撃隊

 曰く「狂気の沙汰」、曰く「戦後の繁栄の礎」。
 曰く「戦力の無駄遣い」「アメリカの戦争継続をほとんど不可能なところまで一時は追いつめた」。
 曰く「強制もあった」「志願制であり、実際の実質も全部志願」。
 これまでに散々色々な評論を読み、聞いて来た。

 それなりに考えはまとまっていたが、やはり何か書くならあの場所に行った上でなければ無責任になるとも考えていた。その場所とは、知覧特攻平和会館、鹿屋航空基地史料館、万世特攻平和祈念館である。

 遺影と遺品に埋め尽くされているフロアーに身を置いてみて、それまでの考えはやはり大筋では変わらなかった。

 一つは、特攻を考え指導した軍の首脳と、隊員で分けて考えねばならないということだ。一番端的なのは天皇の

》そのようにまでせねばならなかったのか。しかし、よくやった
(安延多計夫『あゝ神風特攻隊 むくわれざる青春への鎮魂』P32)

 という言葉で、よくその複雑さを表しているように思う。これを言われた大西瀧治郎は叱られたと感じたと言うが、実際隊員については賞賛したと同時に、軍の首脳に関しては叱ったのだと思う。

 そして少なくとも隊員たちについては「狂気の沙汰じゃなかった」ということだ。何を守ろうとして飛び立ったのかは人それぞれかも知れないが、自分の守りたいものを守るためにはどうすれば良いのか静かに考え、軍の上司が特攻が必要だと結論した以上それに殉じようと考えた人たちがたくさんいたということだ。発進から数時間もあるのに、冷静でなくて突入できるものか。

 もう一つは、それでもやはり「戦後の繁栄の礎ではない」ということだ。真面目で誠実だった彼らが生き残って戦後の復興に力を尽くしたなら、さらに復興は早く進んだに違いない。戦争は負けると分かった時点で無条件降伏であれ敗戦という形で終結させるしかなかったものを、この国の当時のリーダーが手間取ったがためにそういう形に追い込まれたのだ。その死を「無駄だった」と考えたくないのが遺族感情だろうが、やはり無駄になったと考えるしかないし、そう考えないのは危険な美化である。
 無駄でなかった、有益な死だった、と本心から言い張るのであれば、その成果と引き換えに生きて帰る可能性がある時にそれを望まないはずである。しかし生きて帰らせることができたとしたら、それを望まなかった遺族はないだろう。

 強制/志願については、こう考える。
 企業に「サービス残業」なるものが横行し、天皇の死後や大震災後に遊びを「自粛しろ」と言われるこの国で、一体「志願制」というタテマエを無邪気に信じる者がいるとしたら、それはかなり世間知らずなのではないか。
 確かに心底志願した人たちも多数いただろう。それまでに「鬼畜米英」と教えられ、実際にアメリカ軍には無差別絨毯爆撃など幾多の国際法違反があった。そのアメリカ軍が圧倒的な戦力で日々刻々攻め上げて来る。戦友が「先に行く」と我先に飛び立って行く。未熟な自分たちに他の方法はなさそうだ。その状況で特攻に志願するのは自然なことだったのだろう。しかし彼ら全員がそのように思ったとは限らない。
 実際知覧で流されていたビデオで、富屋食堂の女主人で特攻隊員の世話をして「おばさん」「おかあさん」と慕われた鳥濱トメさんが宮川三郎軍曹との会話を語っているが、その中に宮川三郎軍曹が「僕は帰って来る」と言ったので鳥濱トメさんは「そんなことを言ったら憲兵に捕まってしまうよ」と心配した、という場面が出て来る。当時の雰囲気では到底そんなことは言えない雰囲気だったということだ。実際にはこの話は「特攻で戦死して蛍になって帰って来る」という意味なのだが、完全な志願であるというのであれば、出撃までに「やっぱりさすがに絶対に死ぬことが決まっている形で行くのはなぁ、、、」というのも、好ましくはないまでも、最終的には許容されて然るべきではないのだろうか。
 また純粋に志願した人たちも、何らかの形でその後の状況を見たらどう思っただろうか。機材故障で帰還し再度の出撃を懇願した隊員の中には上官に罵倒された者もあったという。日本は無条件降伏し、「鬼畜」であったはずのアメリカ兵はチョコレートやキャンディーを子どもたちに配りながら進駐し、各地で歓迎された。若い女性の一部はアメリカ兵の売春婦になって生き存えた。「我も後に続く」と言って特攻を命令した軍のトップは、自刃した大西瀧治郎(敗戦当時軍令部次長、海軍中将)、突入した宇垣纏(敗戦当時第五航空艦隊司令長官、海軍中将)など少数の例外を除き、そのほとんどが天寿を全うした。ある者はアメリカのご都合により進められた再軍備組織自衛隊の幹部として、またある者は無条件降伏した経緯から終始アメリカの意向を酌まざるを得なかった日本政府の政治家として、である。

 戦果についての評価は、今でもどう考えれば良いのか分からない。
 精神的には、大きいのかも知れない。アメリカ軍人は、生きているパイロットが乗ったままの飛行機が躊躇なく突っ込んで来る恐怖について語っている。今でもアメリカがアジアの国への経済制裁を躊躇するのは、この件とベトナム戦争があるという。「アジア人を怒らせるととんでもなく恐ろしいことをするんだ」という恐怖を植え付けたということだ。
 実質的には、その戦果はその損害に対してあまりにも少ない。特に後になるに従いアメリカ側は戦闘機とレーダーと対空砲火で特攻対策をしたのに対し、日本側は新鋭機がなくなりパイロットの練度は低くなり、、、ほとんど戦果は挙がらなくなって行く。これに関しては特攻を主体とする幹部に対して、芙蓉部隊を率い夜間戦闘を行なって成果を上げていた美濃部正海軍少佐が階級差も省みず言った言葉が端的であろう。

》現場の兵士は誰も死を恐れていません。ただ、指揮官には死に場所
》に相応しい戦果を与える義務があります。練習機で特攻しても十重
》二十重と待ち受けるグラマンに撃墜され、戦果をあげることが出来
》ないのは明白です。白菊や練習機による特攻を推進なさるなら、こ
》こにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょ
》う。私が零戦一機で全部、撃ち落として見せます。

 本来航空機の操縦は難度が高く、まず飛んで降りるだけでも大変である。そもそも通常攻撃をするだけの兵力養成が間に合わないから特別攻撃という話になったのに、兵力を使い捨てするこの作戦には矛盾がある。

 ただし個人的に美濃部正の主張に全面的な賛同をしているわけではない。
 
美濃部正は一概に特攻を否定しているわけではなく、この時点で「特攻しかないなら仕方がないが、特攻より戦果を挙げられる方法がある」という主張である。
 △11の主張は「特攻なんかを考慮せざるを得ない状況なら無条件降伏しなければならない」であり、本質的にはかなり違う、、、というよりそもそも立ち位置が違うのだ。

 結局そもそも大西瀧治郎自ら「特攻は統率の外道である」と言っていた特攻について成果を評論する意味はあるのだろうか、というのが△11の考えだ。

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2013年6月30日 (日)

2つの大艦巨砲主義

 以前記事日本海軍はアメリカとの国力差を克服する方法を考えていたで日露戦争当時と太平洋戦争当時の戦略の類似性について書いた。今日はその違いについて書きたい。

 はっきり違うのは、「アウトレンジ戦法」である。

 来るべきアメリカとの戦争に際し、日本海軍としては、日本近海での主力艦同士による艦隊決戦を想定していた。そこに至るまでに侵攻して来る敵主力艦戦力に対して補助艦で攻撃をかけて3割を削れるとして、日本にはアメリカの7割の主力艦戦力が必要になる。しかし1921年ワシントン海軍軍縮条約でも1930年ロンドン海軍条約でも認められたのは「対米6割」であった。日本海軍が条約締結に反発して「統帥権干犯だ」と言い出した発端にもなった。

 ともかくこれでは戦略自体が成立しない。となれば既存の概念だけでは無理、1割分を何かでカバーしなければならない。そこで出て来たのがアウトレンジである。
 主砲の射程距離を延伸し、敵主砲の射程距離に入る前に攻撃を始める。例えば戦艦大和の主砲の射程距離を42km、戦艦アイオワの主砲の射程距離を38kmであるとすれば、距離が42km以下38km以上の間は一方的に砲撃できることになる。敵艦より最高速度が上ならば、例えば距離40kmを保持することで延々一方的に攻撃できる。

 ただこれがそのまま理屈通りに行ったかと言うとそうでもなかった。
 射撃というものは事前に敵艦の方位と距離を測定した上で、敵艦がそれまでと同じ方角に同じ速度で動き続けると仮定し、着弾時に存在すると想定される位置に向けて撃つのであるから、砲撃が遠距離になればなるほど発射から着弾までの時間が長くなり、回避行動が有効になるのだ。戦艦大和が最大射程で射撃する場合発射から着弾まで40秒も掛かる。精度を上げても当たる保証はない、、、というか結果論で行くと、遠距離砲撃では戦艦主砲は当たらなかった。

 しかし主砲射程距離の延長以外にも、日本海軍はアウトレンジの方法を考えていた。水雷戦隊による酸素魚雷攻撃と、機動部隊の艦載機による魚雷攻撃である。
 一般に魚雷は燃料を空気で燃やして進むが、これだと空気中80%を占める窒素が泡となって雷跡が目立ち回避しやすくなる上に、酸素は20%なので射程が約5kmと短い。酸素で燃やして進めば排出されるのは水に溶けやすい二酸化炭素だけなので雷跡が目立たない上、射程距離が20〜25kmと延伸できた。また三次元で命中させる必要がある砲撃と違って雷撃は二次元であり、遠距離でも命中率を高く保ちやすい。酸素を使うため事故の危険は大きく列強が有用性を認めつつ実用化を諦める中、遅ればせながら開発を始めた日本海軍は世界で唯一酸素魚雷の実用化に成功、戦艦主砲に射程距離では少々劣るもののかなり遠距離で撃ち合える兵器に育てたわけである。
 艦載機の行動範囲は戦艦主砲の射程距離どころではなく、例えば真珠湾攻撃当時新鋭艦載機だった九七式艦上攻撃機なら正規航続距離1021kmである。攻撃機の場合は行って、敵を捜して攻撃し、母艦に帰って来なければならないが、それでも「射程距離」が主砲と桁違いなのは明らかだ。また敵艦の目の前で発射するから、命中率も高くかつ回避しにくくできる。

 その結果は、明白であろう。
 真珠湾攻撃でオクラホマとアリゾナは修理不能と判定される大きな被害を受け戦場には帰って来なかった。その他の戦艦の戦列復帰はメリーランド1942年2月、ペンシルバニア1942年3月、ネヴァダ1942年12月、カリフォルニア1944年5月、ウェストバージニア1944年7月。真珠湾攻撃が終わってすぐの段階でアメリカ海軍の持ち駒は損害軽微だったテネシー、応急修理を施して1941年12/20に一時復帰できたメリーランド、そして真珠湾攻撃時そこにいなかったニューヨーク、テキサス、ミシシッピー、ニューメキシコ、アイダホだけである。この間日本側には戦艦大和が1941年12/16に就役している。この時点で日本海軍は航空を非常に重視したに挙げた数字をベースに計算してみると、アメリカ戦艦は7隻22万トンに対し日本戦艦は11隻、41万トンとなる。
 イギリスは日本を牽制するためプリンス・オブ・ウェールズ、レパルスをアジアに送ったが、マレー沖海戦で航空機攻撃により沈没し、アジアにおけるイギリス艦隊は全く無力化された。
 つまり、ここまではちゃんと日本海軍の想定通り行っているのだ。

 また、艦載機による雷撃の路線は思想として現在の無人誘導ミサイルにつながっている。

 そういうわけで「日本海軍は日露戦争以来の旧弊な戦法と精神論に固執した」「アウトレンジなんて夢想」という批判もまた困難なのである。

 確かにこの後このままうまく行き続けたわけではない。日露戦争における日本海海戦と、太平洋戦争における真珠湾攻撃の違いとして、次の要素が挙げられる。
 日露戦争におけるロシアの場合は厭戦気分が溢れたが、太平洋戦争においてのアメリカは国内世論が「だまし討ち」と日本に立ち向かうことで挙国一致してしまった。
 日本海軍が見せた空母の有効性は被害を受けた側に取って非常に印象的だった。
 日本海軍には、いや世界中どこにも太平洋戦争まで「総力戦」という概念がなかった。アメリカが手持ちの工業資源を挙げて兵器を作り始め、開戦当時に得た「対米比率」はあっという間に覆された。徹底した通商破壊により、緒戦で確保した資源を本国に送れなくなり、物資が枯渇した。
 緒戦の連勝で驕りが出て、講和に向けて活動できる雰囲気ではなくなった。これは日露戦争でもそうであったが、程度はかなり違ったようで、日露戦争の時は政府と陸海軍のトップがそれを押さえ込んで講和にこぎ着けている。
 日露戦争の時はアメリカに仲裁を頼んで講和しているが、世界中を敵に回したため、仲裁をしてくれる国がなかった。ソヴィエト連邦を想定していたが、実際のソヴィエト連邦は不可侵条約を無視し参戦して来た。
 日露戦争は1年程で終わったこともありその間特に大きな技術革新は起きなかったが、太平洋戦争の場合はその後アメリカでレーダーが発達した。また日本側が人員消耗で開戦時に保持していた練度を保てなかったこともあり、艦載機で攻撃に出ても成果が上がらなくなった。
 これらの要素が、日露戦争と太平洋戦争の結果の違いとして現れて行くことになる。

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2013年6月 9日 (日)

登山規制の是非

 ニュースで山岳遭難が話題になるたびに、インターネット上で「登山なんか禁止してしまえばいい」という話を読むのだが、一体彼らは自分がどれだけ危険な主張をしているのか理解しているのだろうか、、、理解してないから主張しているんだろうな。

 彼らの主張はこうである。「登山は危険である上に、救援者の二次遭難の危険もあるので迷惑だ。危険なことを禁止するのに何の問題もない」。

 登山は危険?
 全く危険のない状態などあるのだろうか。
 ドライブもツーリングもサイクリングもランニングも水泳も散歩もできんぞ。いや家の中で寝ていたって、飛行機が落ちて来る危険はある。地震が起きて建物が倒壊する危険はある。
 本当に死の危険をなくすには、死ぬしかない。いや冗談じゃなくて。

 登山は生活に必要ないし、普通の趣味とは危険の程度が違う?
 法律ってのは、扱いを変えるなら、誰でも見てすぐに分かる線で分ける必要がある。そうでないと恣意的な扱いを許すことになってしまうからだ。
 △11の知る限り、国内で冬山でない一般ルートで行なう登山ってのは、言うほど危険ではない。無謀登山が危険なのは言うまでもないが、無謀運転が危険なのと同じで、それを以て普通の自動車運転や登山が危険である証左には使えない。
 そもそも「趣味の登山は禁止しろ」って言っている人は、「趣味」「山」をどこからだと思っているんだろう。標高198mの裏山に犬連れて散歩に行くのは登山じゃないのか。
 イメージや標高と、実際の危険も全く比例しない。夏に上高地から3190mの奥穂高岳に登るとか、そういうメジャーなコースなら、登山口から山頂まで人が列をなしているので、「道を間違えて迷い込んじゃった」「脚を怪我をして動けなくなって誰にも気づいてもらえない」、そういう危険があり得ない。遅くなって目的地にたどり着かなくても、最寄りの山小屋に逃げ込んで朝まで布団で寝てれば良い。安全なのである。静岡市の裏山で1051mの竜爪山に登った時は、歩く時間こそ奥穂高岳より短いものの、登山口から登り始め登山口に下山するまでの間誰にも会わなかった。同じ場所で同じ時期でも濃霧が出れば危険度は一変するし、それには15分もあれば充分。
 線引きなんかできないんである。
 あるトップカーレーサーの、こんな趣旨の発言を読んだことがある。「僕はサーキット以外では飛ばしません。エスケープゾーンもないですし、救急車も常駐していませんし、一方通行じゃないですし、走っている方の技量も色々で、危険ですから」

 二次遭難の危険に関しては、例えば「天候の回復を待ってですね、、、」と説明している山岳警備隊の警官に対し「見殺しにするのか、救助に出ろよ、それが仕事だろ税金泥棒」とかいうモンスターに対してノーを言える社会があれば充分である。
 無論助けに行けるのに怠惰で行かないのは批判されるべきだが、救助は二次災害を起こさない範囲で行なうべきだ。当然である。

 彼らの言い分はどうだろうか。何がどのようにどの程度危険なのか考えず「とにかく危ないし迷惑、禁止しろ」と喚き散らす、その本音は「自分さえ良ければ、人のことなどどうでも良い」というところにあり、まさにそれこそが、モンスターの本質なのである。違う場所で「見殺しにするのか、救助に出ろよ、それが仕事だろ税金泥棒」と喚き散らすことになるのである。
 一体そんな奴が跋扈する世の中のどこで当然のように「今は二次遭難の危険があるので捜索隊は出せません」と言えると言うのだ。

「彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった。」(マルティン・ニーメラー)

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2013年3月14日 (木)

「馬力」には3種類あって、それぞれ別の単位である

 昔の自動車関係の書籍を読んでいて思うのは、

・英馬力=HP(英語:Horse Power)
・仏馬力=PS(ドイツ語:Pferdestärke)
・日本馬力

 の3つの単位の違いが意識されていないのではないか、ということだ。同じ記事でHPとPSが同じ数値で混在していたり、HPの訳語として馬力を使っていたりする。

 今更当たり前のことを書くようだが、英馬力、仏馬力、日本馬力は違う単位である。
 取引で、米ドルと契約書に書いてあるのに、香港ドルで支払っても大丈夫だと思う馬鹿がどこにいるだろうか。しかし自動車出版業界でエンジン出力を記載する際にはまかり通っていた。今でもその影響は一般人にもかなり残っている。

 メートル法のみにどっぷり浸かって出たことがない人には分かりにくいかも知れないが、同じ呼び名の単位が地域によって、用途によって少し違うというのはよくあることだ。有名なのを挙げるが、他にもある。
 例えば長さの単位。フィートには国際フィートと測量フィートがある。
 例えば体積の単位。ガロンには英ガロン(4.54609リットル)、米液量ガロン(3.785411784リットル)、米穀物ガロン(4.4048428032リットル)がある。
 例えば重量の単位。常用オンス(28.349523125g)とトロイオンス(31.1034768g)がある。
 例えば速度の単位。ノットは1マイル/hだが、その1マイルが、、、まぁ事実としては国際海里=ノーティカルマイル(1852m)でほぼ統一されているのだが、色々ある。

 面倒臭いな。それだけじゃなく危ないじゃないか。そう言えばイランイラク戦争の時だったかに戦闘空域を避けるためコロンボに寄港して給油した機長が給油量の計算が合わずしばらく混乱したと述懐していたのを読んだことがある。機長が給油で考えている単位は米液量ガロンなのだが、設備側が「これだけ給油した」という数値は英ガロンだったというような話だった。

 そもそも、メートル法というものはそういう単位の差による面倒や錯誤を防ぐために策定されているわけである。

 自動車エンジン出力の話に戻る。
 「日本馬力」はメートル法に直すと750Wだ。しかし現在は使われなくなり、日本で「馬力」という場合には仏馬力を指すことが多いという。こういうのが一番混乱を招くのである。
 「仏馬力」はメートル法に直すと735.49875W、、、なのだが日本での仏馬力は735.5Wということになっている。換算を単純にするためだろうか。
 「英馬力」はメートル法に直すと745.69987158227022W。
 当然、外国語のデータでpsとあったのを日本語訳するなら「仏馬力」と書かねばならない。また海外書籍では小文字の表記もあるが、アルファベットで書くなら日本の計量単位規則により大文字でPSと書くことになっている。

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2012年7月12日 (木)

福祉関係者は事故対策を航空業界に学べ

 介護で働いている時、申し送りで事故の報告があるとする。その申し送りの締めに介護主任が「皆で事故に気をつけましょう」というコメントをして申し送りが終了することがよくあって、△11はこれが嫌いだった。

 誰だって事故は嫌だから、事故の前だって、皆自分の能力の範囲で気をつけていたはずである。
 例えば「人員配置が悪い」とか、「確認事項が多い上に確認システムがちゃんとしていない」とか、何か「皆で事故に気をつけ」てもカバーできない問題があるから、事故が起きているわけなのだ。

 そこでのコメントが「事故に気をつけましょう」ということは、論理的可能性として

・介護主任は「皆が故意に集中力を下げていた」と認識している。
・介護主任は事故対策をする気がない。

 のどちらかしかない。

 「んな細かいこと、揚げ足取りだ」と言う人も多いかも知れない。

 しかし、本当に事故を減らしたいのか。
 減らしたいならば、人間に無限の集中力を要求してはならない。人間の集中力が有限であるという厳然たる事実を直視し、その有限な集中力をどう活用すれば事故に繋がらないようにできるのか考えて指示を出すべきだ。

 どうも「事故に気をつけましょう」に限らず介護業界には、「私は事故が起こらないように対策しました」と言えるためだけの対策が多いように思う。
 本当は、例えもしそれが他の職場との広範な連携が必要になり一時職場で「面倒臭いこと言い出しやがって」と思われ疎まれるような内容であっても、例えもしそれが周囲の素人、、、警察、報道、野次馬その他もろもろ、、、から「おぃおぃそんなことやったから事故が起きたんじゃないのか」とか「マヌケかつ事故対策と関係がない」と思われそうな内容であっても、実際に事故が減る対策を断行するのがプロの役割じゃないのか。

 △11が見る限り、そういう「実質の事故対策」というものが一番生きているのが航空業界だ。

 例えば自動車業界、鉄道業界、船舶業界、山岳業界と事故対策が課題の業界は他にもいっぱいあるが、なぜ航空なのか。
 これは簡単。航空業界が一番「本来は危ないこと」をやっているからだ。航空機は、燃料を使って金属の塊を空中に浮かべている。そして矛盾を含んだ難関「着陸」を乗り越えないと安全な状態に移行できない。色々な危険因子が時間制限つきで変化し、その中で適切に対応しなければ絶望的な状況に直結する。
 そんな中での安全対策であるから、実質を伴わないタテマエなんか言ってられない。是が非にも実質的な対策を採らねばならない現実が目の前にあるのだ。
 航空業界の人が書いた事故に関する対策で「皆で事故に気をつけましょう」なんて甘っちょろいことが書かれているのは見たことがない。
 そうやって実質の事故対策に邁進してきた結果、数ある輸送手段の中で一番「本来は危ないこと」をやっている航空機が、実際には一番安全である。

 だから、何もせず「事故に気をつけましょう」と内輪のナァナァで済ませて行くことも可能な介護業界にあって、それに甘んじたくない人は、介護業界の事故対策を勉強した上で航空業界の事故対策も勉強すると有効だと思う。「どうしてそういう選択をしたのか」「本当の事故対策とはどういうものなのか」、その通底に流れる思想を航空業界から汲み取るのである。

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2012年3月24日 (土)

日本海軍はアメリカとの国力差を克服する方法を考えていた

 どうも第二次世界大戦における日本敗戦について「物量に負けるアメリカ相手に戦争をやること自体が無謀だった」などと簡単に切って捨てる人が多い。
 確かにアメリカ相手に戦争をするのはかなり厳しかった。無謀だった、と言えるかも知れない。しかし日本海軍はただ闇雲に、コンクリート壁に自動車で突っ込んで行くが如く宣戦布告に臨んだわけではない。それを証拠を挙げて証明したいと思う。

 日本海軍がアメリカを仮想敵国とした時、念頭にあったのは日露戦争である。
 日露戦争も周囲からは「あまりに国力差がある無謀な戦い」と見られていた。しかし日本海軍は色々と考えて実行し、全てが思い通りに行ったわけでもないが、それでも結果として何とか勝利を収めたわけである。

 そもそも日露戦争の時の日本海軍の戦略はどうだったか。
 ロシアには海軍艦隊が大きく分けて3つあった。太平洋艦隊、バルト海艦隊、黒海艦隊である。その1つ1つが日本海軍とほぼ同等の力を持っており、すなわちロシア海軍は全部で日本海軍のほぼ3倍の戦力を持っていた。
 しかしその戦力差をそのまま受け取らなければならなかったか、と言えば否である。ロシアは日本のことだけ考えていれば足りるわけではないからだ。黒海艦隊はトルコ、バルト海艦隊はヨーロッパ諸国の動向を気にしなければならない。特に黒海艦隊はボスポラス海峡、ダーダネルス海峡という非常に狭い海峡を通らないと外洋へ出られないので動向が筒抜けであり、事実上他の艦隊との大々的な連携は無理であった。
 もしバルト海艦隊を太平洋へ回航することができれば日本海軍に対して2倍の戦力になるが、しかしこれは非常に長い船旅だ。しかも日英同盟により日本の同盟国であるイギリスの支配下にあるという意味で「敵地」であるスエズ運河を通るか、通れない大型艦はこれも主にイギリス支配下にあるアフリカ大陸沿岸を伝い遠路はるばるアフリカ大陸最南端を回って来なければならない。スエズ運河は浅いのだ。逆に言えば日本海軍とすればバルト海艦隊が回航して来ることになっても、到着までに太平洋艦隊を潰してしまえば何とか同等に勝負できる可能性がある。
 主力になるような大型艦は作ろうと思い立ってすぐできあがるわけではないから、宣戦布告のタイミングは非常に重要になる。日本の対露宣戦布告の時期は、巡洋艦の日進と春日が日本に到着した時期と深い関わりがある。
 日露戦争において実際の経過はほぼ日本海軍の想定通りに行った。国民の盛り上がりに反して賠償金が取れなくても、防衛しただけの成果で講和条約にもこぎ着けた。

 翻って太平洋戦争当時のアメリカの状況を見てみよう。
 アメリカには海軍艦隊が大きく分けて2つあった。太平洋艦隊と大西洋艦隊である。この2つを合わせれば日本海軍のほぼ1.5倍の大きな戦力になる。
 しかしその戦力差をそのまま受け取らなければならなかったか、と言えば否である。アメリカは日本のことだけ考えていれば足りるわけではなかった。大西洋艦隊はヨーロッパ諸国の動向を気にしなければならない。
 もし大西洋艦隊を太平洋へ回航することができれば日本海軍を上回る戦力があるが、しかしパナマ運河を通るか、通れない大型艦は南アメリカ大陸最南端を回らなければならない。
 実際にはアメリカ海軍は「パナマ運河を通れること」を条件に艦船を建造していた。「南アメリカ大陸最南端」がどういう場所かを知っていれば当然だろう。陸地に遮られない偏西風が吹き荒れ「絶叫する60度」と言われ、世界でも有数の難所として有名な海域である。逆に言えばアメリカの大型艦生産には制約があり、大和級戦艦の着想もそこにあった。大和級に対抗できる戦艦をアメリカが作ろうとすれば、その艦はパナマ運河を通れない。パナマ運河は狭いのだ。アメリカの造船能力は大西洋岸に偏在していたことにも注意が必要だと思う。すなわち艦隊決戦構想では、大和級戦艦は無敵であり、不沈なのである。
 日本の対米宣戦布告の時期は、戦艦の大和が竣工する時期、空母の翔鶴と瑞鶴が艦隊に編入された時期と深い関わりがある。

 無論日本海軍のしたことが全て正しかったわけではないだろう。例えば△11が見るに、防衛だけ果たした段階で何の利益もなくても講和に持ち込む努力をしなかったことが挙げられるし、まして戦力で圧倒されるようになってから戦争を継続したことは被害を増やし破滅に近づくだけだったと思う。

 しかし批判するのであれば、日本海軍の置かれた状況をある程度理解しておかなければなるまい。「議論している」ふりをしつつ、実際には自分のストレスに任せて相手をめった打ちするような人間とは議論する価値がない。多分皆内心で軽蔑し無視することだろう。

 「 話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」(山本五十六)

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2012年3月10日 (土)

日本海軍は航空を非常に重視した

 どうも第二次世界大戦における日本敗戦について「航空機の時代になっていたのにそれを軽視し、旧態依然の戦艦を作り続けたのが間違い」などと簡単に切って捨てる人が多い。
 日本海軍は、航空を軽視しなかった。いやそれどころか、ここまで重視した軍隊は他になかった。それを隻数と排水量で見て行こうと思う。排水量は単なる大きさであるが、各国が技術の粋を競う以上ほぼそのまま軍艦の能力を表すと考えられている。
 隻数では例えば「水上機母艦や護衛空母は空母として数えるか」「旧式艦をいつまで戦艦と数えるか」という問題があり、排水量では資料により種類が「基準排水量」「公試排水量」「満載排水量」、単位も「ロングトン」「ショートトン」「メートルトン」など色々な種類のが混在しており、明らかに誤認されている数値も散見される。また「改修で変化した等で複数数値がある場合、開戦時の数値はどれなのか」等の問題があり単純ではないが、目的からすればそこまで厳密に考える必要はないかも知れない。基本的には一番表示されていることの多い基準排水量、メートルトンで算定した。

 日本海軍が開戦時に保有していた空母は以下の通り。


鳳翔(1919年起工、1921年進水、1922年就役、基準排水量7470t)

赤城(1920年起工、1925年進水、1927年竣工、基準排水量36500t)

加賀(1920年起工、1921年進水、1928年竣工、基準排水量38200t)

龍驤(1929年起工、1931年進水、1933年竣工・就役、基準排水量10600t)

蒼龍(1934年起工、1935年進水、1937年竣工、基準排水量15900t)

飛龍(1936年起工、1937年進水、1939年竣工、基準排水量17300t)

瑞鳳(1935年起工、1936年進水、1940年竣工、基準排水量11200t)

翔鶴(1937年起工、1939年進水、1941年竣工、基準排水量25675t)

瑞鶴(1938年起工、1939年進水、1941年竣工、基準排水量25675t)


 以上9隻、基準排水量の合計は約22万tである。
 余談になるが鳳翔は「世界で最初に完成した、最初から空母として起工された空母」であり、ここでも日本海軍が空母黎明期に先駆者の一つであったことが伺えるのである。回りくどい書き方になっているのは「世界最初の空母」は軽巡洋艦からの改造空母であるイギリスのフューリアスであり、「最初から空母として起工された空母」としてもイギリスのハーミーズの方が早かったからである。

 これに対しアメリカ軍が開戦時に保有していた空母は以下の通り。

ラングレー(1911年起工、1920年進水、1922年就役、基準排水量12900t)

レキシントン(1921年起工、1925年進水、1927年就役、基準排水量37000t)

サラトガ(1920年起工、1925年進水、1927年就役、基準排水量37000t)

レンジャー(1931年起工、1933年進水、1934年就役、基準排水量14810t)

ヨークタウン(1934年起工、1936年進水、1937年就役、基準排水量20100t)

エンタープライズ(1934年起工、1936年進水、1938年就役、基準排水量20100t)

ワスプ(1936年起工、1939年進水、1940年就役、基準排水量14900t)

ホーネット(1939年起工、1940年進水、1941年就役、基準排水量20000t)

 以上8隻。基準排水量の合計は約18万tである。

 すなわち、あれだけの国力差がありながら、開戦時アメリカを上回る空母を保有していたのである。これが航空軽視であろうか。いや極めて航空偏重であると思う。

 また練度に関しても極めて高かった。
 連合艦隊での雷撃訓練では実戦と同様護衛を受けながら洋上を自由に回避する主力艦隊に対して60%以上、空母加賀の艦上攻撃機隊に至っては85〜90%の命中率を記録している。
 実戦でもマレー沖海戦での命中率は40%。1942年4月セイロン島空襲に伴い発見し重巡洋艦ドーセットシャーとコーンウォール、空母ハーミーズに対して実施した急降下爆撃では命中率が80%を超えた。普通は15%程というから実戦の緊張下立派、、、を通り過ぎて神懸かり的な成績である。

 戦艦に関してはどうか。

日本海軍が開戦時に保有していた戦艦は以下の通り。

金剛(1911年起工、1912年進水、1913年就役、基準排水量32200t)

比叡(1911年起工、1912年進水、1914年竣工、基準排水量32156t)

霧島(1912年起工、1913年進水、1915年就役、基準排水量31980t)

榛名(1911年起工、1912年進水、1915年竣工、基準排水量32156t)

扶桑(1912年起工、1914年進水、1915年就役、基準排水量34700t)

山城(1913年起工、1915年進水、1917年就役、基準排水量34500t)

伊勢(1915年起工、1916年進水、1917年就役、基準排水量36000t)

日向(1915年起工、1917年進水、1918年就役、基準排水量36000t)

長門(1917年起工、1919年進水、1920年竣工、基準排水量39130t)

陸奥(1918年起工、1920年進水、1921年就役、基準排水量39050t)

 以上10隻。基準排水量の合計は約35万tである。山城の大改装後の基準排水量はWikipediaに39130tとあるが何かの間違いであろう。大和と武蔵は開戦当時建造途上で就役していない。


 対するアメリカは

ニューヨーク(1911年起工、1912年進水、1914年就役、基準排水量27000t)

テキサス(1911年起工、1912年進水、1914年就役、基準排水量27000t)

ネヴァダ(1912年起工、1914年進水、1916年就役、基準排水量27900t)

オクラホマ(1912年起工、1914年進水、1916年就役、基準排水量27900t)

ペンシルヴェニア(1913年起工、1915年進水、1916年就役、基準排水量31900t)

アリゾナ(1914年起工、1915年進水、1916年就役、基準排水量31900t)

ミシシッピー(1915年起工、1917年進水・就役、基準排水量33400t)

ニューメキシコ(1915年起工、1917年進水、1918年就役、基準排水量33400t)

アイダホ(1915年起工、1917年進水、1919年就役、基準排水量33400t)

テネシー(1917年起工、1919年進水、1920年就役、基準排水量32600t)

カリフォルニア(1916年起工、1919年進水、1921年就役、基準排水量32600t)

メリーランド(1917年起工、1920年進水、1921年就役、基準排水量32500t)

コロラド(1919年起工、1921年進水、1923年就役、基準排水量32500t)

ウェストバージニア(1920年起工、1921年進水、1923年就役、基準排水量32500t)

 以上13隻、基準排水量の合計は約43万tである。サウスダコタは開戦当時建造途上で就役していない。

 「航空機の時代になった」と言われるのは、1941年12/08真珠湾攻撃で「戦艦が航空機攻撃により沈没したこと」、1941年12/10マレー沖海戦で「作戦行動中の戦艦が航空機攻撃により沈没したこと」による。1941年12/16就役の戦艦大和は言うまでもなく、1942年08/05就役の戦艦武蔵建造に関しても、その戦訓は生かしようがない。

 また「真珠湾攻撃で空母+雷撃機の破壊力が分かったのだからそれ以後は戦艦の建造を止めて全ての資源を空母と航空機に投入すべきだった」という意見も間違っている。

 日本海軍は真珠湾攻撃とマレー沖海戦の結果を受けて当時建造途上にあった大和型戦艦3号艦と大和型戦艦4号艦の製造を中止し、大和型戦艦4号艦を解体した。改大和型、超大和型は計画のみで起工すらされていないので、当時建造途上にあった戦艦は大和型戦艦4隻のみである。すなわち日本海軍はすでにほぼ完成していた大和と武蔵を除き、戦艦の建造を実際に全て中止しているのである。大和型戦艦3号艦はすでに工事が7割進捗しておりもし解体するとなればそれ自体が大事業になってしまうため「とにかく浮揚出渠だけしてドックを空けろ」という指示が出た。1942年04/23の宇垣纏連合艦隊参謀長の陣中日誌の記載として「戦艦は大和型戦艦3号艦までとしその後は空母製造に注力する」旨の話し合いがもたれたという下りがあるという。

 1942年06/05にはミッドウェー海戦で空母4隻が沈没して空母を急造する必要性が高まり、09/04には46cm砲運搬船樫野が撃沈されて戦艦として完成させることも難しくなったため、大和型戦艦3号艦を空母に変更することが決まった。信濃である。
 ここまでのことから、99%完成していたであろう戦艦大和は言うまでもなく、90%完成していたであろう戦艦武蔵も空母改造が非現実的であるのは言うまでもなかろう。

 以上の事実から「日本海軍としては当初から航空を重視し、さらに早い時期から非常に熱心に戦艦から空母への転換を進めている」印象を持たないだろうか。空母の製造ペースでアメリカに圧倒されたのはひとえに日本とアメリカの工業力の差によるのであって、日本海軍が戦艦に固執して空母増産に怠慢であったわけではない。いや戦艦伊勢や日向を航空戦艦へ改造する愚を冒すほどパニック的に空母増産に務めたのが事実である。

 もし「戦艦を止めて空母を作るべきであった」というのであれば、どの時点で、どのドックで、どういう予算を組んで空母を作るべきだったのか、その航空隊はどこでどのように機材と人員を揃えるのか、提示すべきではあるまいか。
 余談だが空母に載せる航空隊は特別な訓練が必要で時間も資金もかかる。洋上飛行には目標が少ないので難度が高い。作戦行動中の母艦は誘導電波も出せないし、離着陸作業中は風上に向かい全力航行を続けるため帰還だけでも大変だ。着艦は曲芸に限りなく近い特殊技能である。

 「いやでもそもそも真珠湾攻撃の結果を待たず大和級4隻を起工しないでその資源を使って空母、巡洋艦、駆逐艦、航空機を多数作っていれば、、、」ってのも、まぁ論理上では不可能ではないものの、一体どれだけの障害があったかと思う。
 機動艦隊を主力とする提唱者の山本五十六自身、航空主導で戦えると確信を持てたのは1941年10月の訓練において、戦艦長門がどのように躱しても四方八方から突入して来る雷撃機の魚雷が命中する状況となり「沈没は不可避」という結論が出た時なのだ。いや真珠湾攻撃後のマレー沖海戦に際しても「レパルスはやれるがプリンス・オブ・ウェールズは無理だろう」と言っていたそうなんである。
 戦艦大和は起工が1937年11月、進水が1940年8月。戦艦武蔵の起工は1938年3月、進水が1940年11月である。
 個人的には状況が分かれば分かる程、そして福島第一原子力発電所の事故の後で日本において起きていることを考えれば考える程、少なくとも現代の日本人から簡単に「1937年の段階で大和級の戦艦を起工せず正規空母を作れば良かったんだよ」などと言えるような話ではない、と思う。んなことできるんだったら2005年6月の段階で政府と電力会社の人が当ブログ記事東海大地震で一番危険な要素読んで2011年3月までに原子力発電所全廃し、電気不足は社会の仕組みを変えることで対応できてるって。完全な机上の空論、しかも結果論である。

 それと、本当に真珠湾攻撃の瞬間「戦艦の時代は終わった」のであろうか。

 航空機の重要性が認識されたことは言うまでもないが、その瞬間から戦艦が全く無用の長物と化したわけでもなく、制空権を確保した上での射撃はマレー沖海戦後も有効であり続けた。
 日本海軍によるヘンダーソン基地艦砲射撃は戦術的に大きな戦果を上げたし、レイテ沖海戦ではジュトランド海戦での戦訓そのままの結果が出ている。アメリカ海軍が沖縄上陸援護に行なった艦砲射撃は日本陸軍に大きな被害をもたらした。

 無論日本海軍のしたことが全て正しかったわけではないだろう。例えば△11が見るに真珠湾攻撃でネヴァダ、オクラホマ、アリゾナ、カリフォルニア、ウェストバージニアを沈没させ圧倒的に有利になったその戦力差を活用できなかったことは明らかな問題だと思える。

 しかし批判するのであれば、日本海軍の置かれた状況をある程度理解しておかなければなるまい。冤罪によって偽犯人が逮捕断罪されている時間は、そのまま真犯人が逃げおおせるために与えられた時間でもある。

 「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」(リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー)

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2009年9月11日 (金)

趣味人生の手じまいに向けて

 最近いくつかの事柄から、趣味人生の手じまいについて考えさせられている。

 利用者様の家に行った時のことだ。そのお宅はかなり裕福で、普通に暮らして行く分には大きい問題はない。「あなたの仕事には関係ないだろうけど」という枕詞付きで話してくれたこの家の問題は、趣味の設備や物品の維持・管理であった。例えば、趣味用の別棟が土台から腐っていて改修となると相当な費用と手間が掛かりそうなのである。ご主人は趣味をする時間はあるが脳梗塞が頻発するようになり体力面でも気力面でも無理が利かなくなって、先日も庭の水まきをしていて調子を崩ししばらく入院するハメに陥ったという。「若い頃はあまり先のことを考えないで趣味を拡張して来たけれど、今になると負担になるばかりやねぇ」と仰る。

 これを聞いていて連想したのは、いくつかの私設天文台の辿ったであろう行く末だった。1980年代後半にはハレー彗星に伴う天文ブームで、私設天文台が皆の憧れだったから、別荘を兼ねて建設したという記事が雑誌面を賑わしていた。しかし建てた人が年を取ると、使う人も修理する人もいないから荒れるばかりだったろう。売ろうにも若い人の間では趣味をやっている人は少ないし、やっていても欲しがる機材のトレンドが違う。人生の資産の大きな部分を投入して建設したのであろうが、後は処分費用がかかるばかりである。これはヨットや別荘の趣味でも全く同じことが言える。
 カメラやコンピューターなど前述の趣味と比較すれば設備が小さく済む趣味と言えども事情は同じであり、使いもしない機材が邪魔になる時期は来る。

 無論まだ具体的に手じまいを始める時期ではないと思う。しかしいつ手じまいをどのように始めて進行させて行くか、少なくとも今後大きく拡張する際には慎重にということは考え始める必要があるだろう、とは思う。

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