2013年4月23日 (火)

母親とは?

 仕事柄、呆れるほど利己主義の親に手を焼く息子娘に接する機会も多い。

 依怙贔屓していた子どもに捨てられ、以前虐待し続けていた子どもに対し介護を当然のように頼んで来る、、、正確に言うと本人は頼まない。役所が扶養義務を根拠とし家族に対して依頼するんである。本人はアタリマエのような顔をしている。
 介護を始めて見れば、あっちに言ったこととこっちに言ったことが違う。前にやっていたことと今言っていることが違う。前にやっていたことと今やっていることが違う。前に言っていたことと今言っていることが違う。前にやっていたことと今やっていることが違う、、、等々自分のその時の自分の都合で言行どころか言々も行々も不一致。
 周囲は本人の使ったエネルギーの100倍以上のエネルギーを使ってフォローに走り回らされる。それで本人が少しでも幸福になるのなら周囲もまだフォローのしがいもあるけど、結局どうでも良いことだったり。

息子さん娘さん「私ら一生懸命介護しているつもりですけど、こんなことされなきゃいけないような、何か本人に悪いことしてますか?」
△11「全くしてません。かえってよくやられていると思います。」

 あのね親御さん、周囲にはバレてないと思っているんでしょうけど、援助職からはあなたの我が儘は丸見えだよ。ちゃんと接した人間は皆があなたのやったこと言ったことを知って理解している。立場上何も言わないかも知れないけど。
 先行き短いのが分かっているんだから、せめて子供に「色々あったけど、良い親だった」と思われながら死にたいとは思わないもんかね?
 いやいやそんな観念理念の話だけじゃなくって、お金は墓場までは持って行けない、は正確ではないに書いた通り、あなた本人の利益のためにも子供に負担をかけないようにするしかないんだけどねぇ。動けなくなった時に助けてもらわねばならない相手の恨みを買って将来どうするつもりなのか。脅かすわけじゃないが、あなたが子供を虐待して来たことが誰からも問題にされずに無事に済んで来たことで分かる通り、家族の間で虐待したってなかなか周囲からは分かりにくいし、もし分かっても問題にしにくいものだよ。

 それなのに全然何をしてくれるでもない遠い親戚や知人からは「親というのは、何だかんだあっても最後は子供のことを考えているもの。行き違いはあるかも知れないけど、ご本人だってそれなりの考えがあってそうしているんじゃないの?」とか根拠ない神話を説教臭く語られて二重に被害を受けたり。

 そんな親と接すると思い出すのは、同僚のケアマネージャーが担当していたある老々介護の親子だ。
 母は90歳台、娘が70歳台。ただの老々介護ではない、娘さんは人工透析の上にパニック障害であるため、どちらかと言えば母親が娘を介護しているのだ。息子さんもいるが遠方であり、気持ちはあるが介護には参加できない。息子さんからは「母と妹揃ってこっちに来ればいいのに」と提案がありお嫁さんも賛同しているが、その母親は「一度行ったのだけれど、知っている人もいない慣れない土地で生きて行くなんて無理」と断っている。それはそうだと思う。
 周囲は心配しているが、本人はそう悲愴な感じではない。でもまぁ年齢が年齢だ。「私もこの先長くはないはずだけれど、この娘を置いては死ねないから、生きていられる間は生きていないとねぇ」と淡々と仰る。この人の人生は娘が障害だと分かった時に終わったのかも知れないな。いやそこまで愛せる相手を授かったことが幸福なのか。
 爽やかな感動とともに色々考え込んでしまったものだ。

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2012年9月15日 (土)

ケアマネージャーの選び方を考える

 介護支援専門員、いわゆるケアマネージャーとして働いていて、また知人が親の介護をしているのを横目で見ていて、思ったことはケアマネの重要性である。

 △11を信頼してくれた人たちは口を揃えて「いや〜△11さんに担当してもらって本当に良かった、こういうケアマネさんでなければどうしていいか困ってしまうばかりだった」という。
 まぁそれはお世辞が入っていたり、介護保険制度の功績をケアマネの功績と勘違いした分とかで相当上乗せされているのだろうとは思うが、しかし100%全部が全部そうでもないのかな、と思ったのは、知人が親の介護をしているところについたケアマネの仕事ぶりを伝え聞いた時である。

 例えば、現状要介護1の認定を受けている人がベッドを必要としているとする。ベッドを借りる費用は¥10k/月程度、介護保険で借りれば利用者負担1割、すなわち¥1k/月程度である。
 介護保険でベッドをレンタルするには、原則要介護2以上が必要だ。
 △11なら「どうやって借りようか?」と考える。要介護1が実態を反映していなくてもっと悪いのであれば更新を待たず区分変更を申請し、要介護3なりにして借りれば良い。実態も要介護1なのにベッドだけが必要なら、ケアマネと主治医が必要性を認めている旨の特例申請を区役所に出し、条件不備がなければ借りられる。条件が合わなくて特例申請も無理なら安価に貸してくれる事業者を探す手もある。△11の把握している範囲でも¥3k/月とか、数量限定ながら¥1k/月とか、電動でなくパイプベッドで良いなら¥0.8k/月とかで貸す業者があった。
 ケアマネだって全てが分かるわけじゃないんで必要性について自信が持てない案件もあるが、しかしそれなら信頼できる福祉用具業者に声を掛けて同行してもらい本人と会えば良い。仕事に繋がる可能性があるから福祉用具業者は喜んで来てくれて、経験と知識の限りを尽くして助言してくれるだろう。要否は最終的にケアマネの責任で判断しなければならないが、判断より前に経験と知識のある福祉用具業者に助言を受けるのは有益なことである。
 しかし、知人の親についたケアマネの某は区分変更も特例申請も出さず、福祉用具業者に連絡も取らないまま「要介護1だからベッドを借りるなら実費になる」と言い続けるだけで済ませたという。本人はがんばり屋なのでトイレを自分で行っているものの、事実上寝たきりに近いのに、だ。

 例えば、臨時にショートステイを使いたいとする。
 これは△11にとって鬼門と言うか、大変な問題だった。地域性もあるのかも知れないが、まずなかなか空きがない。空きがあっても本人と事業所で契約をしなければ使えない。一度契約をして使っても次は空いておらず契約事業所ばかりが増える。あまりに遠いと送迎があるかどうか、本人が車酔いしないかが問題になる。医療的配慮が必要になる人はそれに対応できる事業所でなければならない。というわけで、事業所の誰かがショートステイで困るとそこにいるケアマネ全員で手分けして名古屋市中の事業所に電話をかけまくって空きを探したものだ。一体何軒かけたやら。
 しかしこれ、ケアマネがもしサボリたいと思えば、馴染みの2〜3軒に電話確認して「空きがないので無理です」の一言で済ませても、本人や家族はケアマネが仕事をしているのかしていないのかは分からないのである。

 例えば、介護における留意点が主治医から提示されたとする。
 △11なら、介護における留意点は、自分で整理して各事業所に伝達する。介護を取りまとめる立場である以上基本的な医療情報はどっちにせよ持っていなければならないし、本人や家族はそうでなくても大変なんだから、事業所への基本情報の説明は家族からではなくケアマネからすべきだ。いつもしている仕事の一環だし、すでに整理して持っている情報を送るだけだから大した手間でもない。ケアマネが他事業所との情報交換に慣れていないとか、基本的医療情報を整理して持っていないのであればそのこと自体が根本的問題だ。通常は家族や医療相談員から聞くことになるが、それだけでなく手術後の説明に家族と一緒に立ち会って、外科医から直接説明を受けたこともある。無論詳細は本人や家族から直接事業所側に少しずつ話してもらうことになるかも知れないが、、、
 しかし、知人の親についたケアマネの某は「事業所には自分で話をして下さい」と言って済ますらしい。知人は医療的な指示が医師から出るたび、自分で事業所の数だけファックスを書いて送付していた。△11はこの話を聞いて首をひねって考えて込んでしまった。ケアマネよ、アンタが介護に関する情報集約をしないんだったら、金をもらってしているはずの、アンタの仕事は何なのだ?
 △11は「そんなケアマネ代えればいい」とアドバイスし続けたが、なかなか代えづらいものらしい。そりゃそうだよね。家族からしたら、サービスの中核になる人を代えたらどうなるか、想像もつかないんだろう。でも情報集約はしない、必要なサービスを使わせない、そんなケアマネならいるだけ邪魔だ。排除して良くなることはあれど困ることは何もないぞ。
 ある入院の際に医療的配慮が非常に増え、退院時に病院から医療に強いケアマネ紹介の提案があった機会に△11から強く「今ケアマネを代えなければおめぇ一生後悔するぞ!」と言ってケアマネを更迭させ、その後は家族が目を見張るほど話が進んで「早く代えれば良かった」と言っていた。当たり前ぢゃ。
 
 純粋な介護でなくても、ケアマネをして行く上で知っておかねばならない情報、知っておいた方が利用者のためになる情報が、世の中にはたくさんある。
 例えば障害福祉制度、生活保護制度、高額医療費制度、名古屋市のマル福制度、家政婦事業所、日常生活用具給付、福祉電話やあんしん電話貸与、消防情報登録制度、生活援助軽サービス、美味しい弁当宅配業者、、、利用者本人の状況に応じて何が使えるのか、提示してあげなければ本人や家族は知らないまま数万円/月規模の経済的負担や、重い物理的負担を強いられる場合もある。

 最初の話に戻る。誰がケアマネを担当するか、で全然介護負担は違って来る。では一体どのようにケアマネを探せば良いのか?
 △11が区役所の福祉課に書類を出して待っている間、時々窓口に相談に来ている人を見かけた。区役所の人から分厚い冊子になった介護事業所一覧を渡され「この中からケアマネさんを選んでお願いして下さい」と言われるのだが、さて受け取った方は途方に暮れている。介護した経験のない人には当然どのような条件で探せば良いのかなんて到底見当がつかないだろうし、そもそも冊子には事務所の名前と連絡先が並ぶだけでどういう事業所かは書いてない。区役所の人が不親切なわけでもない、公務員なので「どこの事業所が良い」とは言いにくいのだ。
 △11がいた事業所はノルマというものが特にあったわけではないが、途方に暮れている家族がいた時に声を掛けようかと思ったこともある。しかし同僚の手前あまり営業みたいなことで仕事を取って来ると妬みとか変なことになるのも嫌だった。

 今、誰か知人に「ケアマネってどうやって探すの?」と聞かれたとして、実際ケアマネの側から考えても、なかなか妥当な解決策は見当たらない。

 とりあえず今思いつく話をすれば、、、
 ケアマネは主に介護福祉士と看護師から来ている。進行性の病気がある人を介護するには医療の知識が必要になってくるので、看護師からの人を選んだ方が良いかも知れない。生活やリハビリの範囲なら、介護福祉士からの人を選んだ方が良いかも知れない。
 分からないことをごまかさず、調べて来る人がいい。誰でも分からないことはあるが、調べることはできる。
 話をよく聞いてくれる人がいい。「ケアマネは人間相手の仕事なんで、パソコンの能力なんか関係ない」という人もいるが、あまりにパソコンを使うのが苦手な人は利用者の話なんか聞いてられる時間が取れなかったりするので一概には言えないと思う。△11が愚痴なんかでも相当聞いていられる時間を取れるのはひとえにパソコンで書類を作るのが速いからだ。毎月一回ある提供表の作成とか、同僚が丸一日掛かる作業を20分くらいで済ませるもんねぇ。無論事務をさっさと済ませても、それで生まれた空き時間を利用者との話に充てずサボるのに使うケアマネもいるかも知れないが、、、
 自宅から距離的に遠くない事業所のケアマネが良い。どんなに良心的であっても、物理的距離を埋めるのは大変なことだ。特別近い必要はない。まぁ、事業所の勤務体制が寛容であればある程度距離があってもどうにかなるので、重要な要素ではないかも知れないが、、、
 自分の所属するグループの事業所以外使わないケアマネは良くない。本来ケアマネは中立なのだが、独立ケアマネを除けば、事実としてある程度は自分のグループの事業所を使うよう有形無形の圧力がある。それ自体は資本の論理として当然だと思うし、実際自分のグループの事業所は情報交換が密にできるなど利点も多く使いやすいので、△11も特に支障がなければ最初の選択肢として勧めることが多い。しかしケアマネが自分の所属するグループの事業所につき「利用者と合わない」「能力が不足している」等と判断した場合に、所属グループの事業所をぶった切って資本上無関係なグループの事業所からも選択できるような社風のグループでなければ、そして選択できるケアマネでなければ、合わない事業所をケアマネに押し付けられることになってしまう。ただグループの社風を事前に確認することは難しいかも。

 結論が「う〜む難しいよねぇ」で終わるのも申し訳ないのだが、何人か実際に会ってみて、人間として合いそうな人を探すしかないのかも知れない。本当はケアマネとのマッチングを効率化最適化することは社会的に大きな課題なのだという問題提起はしておきたいと思う。
 逆に言えばそこが重要で、自分で努力したらしただけの甲斐がある、ということだ。契約前に色々話をしてみれば良いし、契約後でもケアマネに疑問を持ったらそのケアマネにぶつけてみれば良い、それで解消されなければ代えてみれば良い。
 「毎度ケアマネ交代なんて次のケアマネにクレーマーだと思われるのではないか?」そりゃ正直なところ思うようにはなるが、話をしてみて言っていることに筋が通っていれば、「前のケアマネが酷かったんだな」と思うようになる。実際そういう事例があった。

 △11はご本人のレベルによっては、初訪問時ご本人さんに「夢」を聞いていた。無論本人や家族の努力とケアマネの能力によっては実現する夢もあるだろうが、まずは実現可能かどうかは関係ない。どういう夢を持っているかにより「どういう生活をしたいのか」が見えて来る。
 また「夢」ってのは「結局本人がどうしたいか」であって、要はケアプランに出て来る「長期目標」よりも長期の、「超長期目標」とでも言うべきものなのだ。
 「実現不可能な夢」に対して、笑わずにちゃんと対応したい。無論ここで言う「対応」とは、イエスマンで受け入れるのではなく、最終的に具体的ケアプランに落とし込むべく本人を説得することを含む。大変ではあっても、現状維持のケアプランより作りがいもある。

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2012年7月12日 (木)

福祉関係者は事故対策を航空業界に学べ

 介護で働いている時、申し送りで事故の報告があるとする。その申し送りの締めに介護主任が「皆で事故に気をつけましょう」というコメントをして申し送りが終了することがよくあって、△11はこれが嫌いだった。

 誰だって事故は嫌だから、事故の前だって、皆自分の能力の範囲で気をつけていたはずである。
 例えば「人員配置が悪い」とか、「確認事項が多い上に確認システムがちゃんとしていない」とか、何か「皆で事故に気をつけ」てもカバーできない問題があるから、事故が起きているわけなのだ。

 そこでのコメントが「事故に気をつけましょう」ということは、論理的可能性として

・介護主任は「皆が故意に集中力を下げていた」と認識している。
・介護主任は事故対策をする気がない。

 のどちらかしかない。

 「んな細かいこと、揚げ足取りだ」と言う人も多いかも知れない。

 しかし、本当に事故を減らしたいのか。
 減らしたいならば、人間に無限の集中力を要求してはならない。人間の集中力が有限であるという厳然たる事実を直視し、その有限な集中力をどう活用すれば事故に繋がらないようにできるのか考えて指示を出すべきだ。

 どうも「事故に気をつけましょう」に限らず介護業界には、「私は事故が起こらないように対策しました」と言えるためだけの対策が多いように思う。
 本当は、例えもしそれが他の職場との広範な連携が必要になり一時職場で「面倒臭いこと言い出しやがって」と思われ疎まれるような内容であっても、例えもしそれが周囲の素人、、、警察、報道、野次馬その他もろもろ、、、から「おぃおぃそんなことやったから事故が起きたんじゃないのか」とか「マヌケかつ事故対策と関係がない」と思われそうな内容であっても、実際に事故が減る対策を断行するのがプロの役割じゃないのか。

 △11が見る限り、そういう「実質の事故対策」というものが一番生きているのが航空業界だ。

 例えば自動車業界、鉄道業界、船舶業界、山岳業界と事故対策が課題の業界は他にもいっぱいあるが、なぜ航空なのか。
 これは簡単。航空業界が一番「本来は危ないこと」をやっているからだ。航空機は、燃料を使って金属の塊を空中に浮かべている。そして矛盾を含んだ難関「着陸」を乗り越えないと安全な状態に移行できない。色々な危険因子が時間制限つきで変化し、その中で適切に対応しなければ絶望的な状況に直結する。
 そんな中での安全対策であるから、実質を伴わないタテマエなんか言ってられない。是が非にも実質的な対策を採らねばならない現実が目の前にあるのだ。
 航空業界の人が書いた事故に関する対策で「皆で事故に気をつけましょう」なんて甘っちょろいことが書かれているのは見たことがない。
 そうやって実質の事故対策に邁進してきた結果、数ある輸送手段の中で一番「本来は危ないこと」をやっている航空機が、実際には一番安全である。

 だから、何もせず「事故に気をつけましょう」と内輪のナァナァで済ませて行くことも可能な介護業界にあって、それに甘んじたくない人は、介護業界の事故対策を勉強した上で航空業界の事故対策も勉強すると有効だと思う。「どうしてそういう選択をしたのか」「本当の事故対策とはどういうものなのか」、その通底に流れる思想を航空業界から汲み取るのである。

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2009年9月11日 (金)

趣味人生の手じまいに向けて

 最近いくつかの事柄から、趣味人生の手じまいについて考えさせられている。

 利用者様の家に行った時のことだ。そのお宅はかなり裕福で、普通に暮らして行く分には大きい問題はない。「あなたの仕事には関係ないだろうけど」という枕詞付きで話してくれたこの家の問題は、趣味の設備や物品の維持・管理であった。例えば、趣味用の別棟が土台から腐っていて改修となると相当な費用と手間が掛かりそうなのである。ご主人は趣味をする時間はあるが脳梗塞が頻発するようになり体力面でも気力面でも無理が利かなくなって、先日も庭の水まきをしていて調子を崩ししばらく入院するハメに陥ったという。「若い頃はあまり先のことを考えないで趣味を拡張して来たけれど、今になると負担になるばかりやねぇ」と仰る。

 これを聞いていて連想したのは、いくつかの私設天文台の辿ったであろう行く末だった。1980年代後半にはハレー彗星に伴う天文ブームで、私設天文台が皆の憧れだったから、別荘を兼ねて建設したという記事が雑誌面を賑わしていた。しかし建てた人が年を取ると、使う人も修理する人もいないから荒れるばかりだったろう。売ろうにも若い人の間では趣味をやっている人は少ないし、やっていても欲しがる機材のトレンドが違う。人生の資産の大きな部分を投入して建設したのであろうが、後は処分費用がかかるばかりである。これはヨットや別荘の趣味でも全く同じことが言える。
 カメラやコンピューターなど前述の趣味と比較すれば設備が小さく済む趣味と言えども事情は同じであり、使いもしない機材が邪魔になる時期は来る。

 無論まだ具体的に手じまいを始める時期ではないと思う。しかしいつ手じまいをどのように始めて進行させて行くか、少なくとも今後大きく拡張する際には慎重にということは考え始める必要があるだろう、とは思う。

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2008年2月12日 (火)

「菜の花の沖」を読んで介護業界を考える

 司馬遼太郎の小説である。

 ちゃんと読んだのは10年程前であろうか。
 内容は、淡路島で貧農の子として産まれた高田屋嘉兵衛が村八分になり、神戸に逃れて樽回船の船乗りとなって成功し、その後独立して北前船の船乗りとなり、北海道開拓さらにはロシアとの外交にも一役買って行く話である。

 で、、、冒頭から全然違う話。
 介護業界で少し前にコムスン問題が起きたのは皆の記憶に新しいだろう。あの時世評のほとんどは「利益を追求する者は介護業界に来る資格なし」であった。その世評を聞いて介護に関わっている者は「じゃあ誰が介護するんだよ」と憤慨したものである。
 「介護は公共サービスとして国や自治体が責任を持って行うべき」という論評もあったが、これも間違いだろう。長い間日本人のそういう固定観念に従っ て行われて来た結果行政は肥大し、しかも「親方日の丸」「護送船団」で効率が悪く介護保険導入以前はほとんど機能不全に陥っていた。
 そもそも介護保険とは、平日の9時から17時までの間公務員のみによってサービスするだけの旧制度では到底埒が明かず社会的入院によって凌いでいたところ「介護業界に民間活力を導入しよう」という趣旨で2000年に始まった制度であった。問題を多々抱えながらもやっと形になりつつある制度につき問題の性質も分析しない者から「問題が起きたから元に戻せ」ではお話にならない。架空請求等の不正は問題だが、巧く経営してもぎりぎりの利益しか出ない制度にも問題がないわけではあるまい、、、ということも含めて以前の記事コムスンの事件に考えるに書いた。

 また唐突のようだが冒頭の話に戻る。最近何気なく「菜の花の沖」を再び手に取って、ハタと気がついたことがある。
 高田屋嘉兵衛が北海道開拓に関わって行く辺りで、先輩である神戸の船主たちが盛んに「幕府の仕事には深入りするな」という趣旨のアドバイスをしているのである。
 つまり、公共事業ってのは一時は儲かっても、政府内の対立に巻き込まれる、設備投資をさせられた後方針の転換により注文が途絶える、代金を値切られる等のリスクが大きいということである。介護業界にいると「どっかで聞いた話だ」と思うところ多であった。

 介護保険制度は2006年に改正され介護報酬が引き下げられた。
 2000年に国が定めた制度を見て「これなら事業として成立する」と考えて参入し、その当初の計算通りそこそこうまく行っていたのに、この改正で赤字転落 させられた業者は多いのではなかろうか。言うまでもないことだが事業参入は私人手持ちの貴重な資本を投入し自己責任において行うのである。「税金の無駄遣いを 防ぐため」儲かる限界はそこそこ程度に法律で限定されており、場合によっては一方的に切り下げられる。結果破産しても誰も救済はしない。

 公共事業とはその中に矛盾を抱えている。利益が上がらなければ誰も関わらない。し かし、公共事業を請け負った者がそれにより多大な利益を得ていたら納税者は「ぼったくりだ」と思うだろう。無論△11自身も納税者の一人であるからそれはよ く分かる。

 では、どうすべきなのであろうか。
 ここからは「限られた資源で、国家として医療と福祉をどうしたいのか」という問題そのものである。日本政府は「介護を医療から独立させる」という道を選んだ。その手段が介護保険制度である。そしてそれが一応の成果を上げていることは、現に老人介護をしている家族、介護を受けている本人に聞けば分かるだろう。よく聞く「長期入院は社会的コストが高い」という理由は本当かどうか分からないが、病院は生活の場ではないので社会的入院は本人にとっても負担が大きいのである。国が在宅介護を推進しているのは「家庭への責任転嫁」ばかりではない。
 そして介護保険制度を選択する以上は、そこで働いている人間がまともな生活を送れるくらいの人件費投入を覚悟すべきだ。今の給与水準では「ボランティア精神に期待している」と言われても仕方あるまい。

 また介護職員の側も「給与が安い」と文句を言うだけでなく、要求している給与に見合った専門的知識を身につけなければならない。今の状況では「どっちもどっち」である。
 ところで、介護職員間で「給料が仕事に見合ってないよね」という会話が交わされることがあり無論介護職員としてそれに同意するのであるが、しかし変な言い方になるが、世間で「仕事に見合った給料」などというものを貰えている人はほとんどいないのではないか、とも思う。例えば農業を見れば、大根1本作って¥150で売るのにどれだけの労力が必要だろうか。工業を見れば、¥1000の売れる時計を作るのにどれだけの資本投資と技術研鑽が必要だろうか。そう考えると「仕事に見合った給料」などというものは幻想に過ぎないのではないか、給料を貰える仕事があるということは凄いことなのだ、と思えたりもする。

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2008年1月24日 (木)

設備委員のお仕事

 以前働いていた老健には例えば事故対策委員とか衛生委員とかの色々な委員会があって、職員は何らかの委員会に所属することになっていた。で、男性職員はほとんど例外なく設備委員に配属されており、△11も例外ではなかった。

 設備委員とは、まぁ改めて説明するまでもなく施設の設備の保守管理をする係である。最初は「バイクの修理とか防水工事の経験もあるから他の奴よりは適任でしょ、故障の報告が来たら対応するだけだ」と軽く考えていた。実際当初は「車椅子のタイヤがパンクした」「居室箪笥の把手が外れた」「居室箪笥の引出前板が外れた」等々故障の報告が入って来たら修理するだけである。
 しかし、だんだんそのとてつもなさが見えて来た。一つ一つは難しくないものも多いのだが、何しろフロアー定員100名、デイケア定員30名の大規模施設である。例えば引き出しの修理で言えば、ある日は夜勤が明けた後引き出しを2つ修理してから帰った。ある日は木工用ボンドを行事の準備に持って行かれており探すのに何時間も掛かった。

 そのうち「こりゃ抜本的に管理して抜本的に対策して故障自体を減らし、かつ発見→修理までの時間を短縮しないとやってられんな」と思い始めた。

 最初に考えたのはよく起きる故障の修理に必要な部品の備蓄である。故障のたびに発注していては時間が掛かって仕方がない。
 しかし前述木工用ボンドは再び行事の準備に持って行かれ、最終的には設備委員専用と明記して備蓄した。引き出しの把手、パンク修理のパッチやムシも大量発注を掛けようとしたのだが、これに待ったが掛かった。総合的に考えれば設備委員が修理した方が安価に決まっているし、「修理をしよう」→「部品がない」→「発注しよう」なんてやっていたら見えないコストがどんどん掛かるので、それと比較すればただに近い部品を少し多めに注文しておくくらいどうでもいい話なのだが、実際に部品が発注されると官僚的観点から「それ何年分?今年必要なだけにしてね」という圧力がどこからかあるようなのである。当然ながら「大量」と言っても当座必要な分の数倍しか発注していないわけで、馬鹿馬鹿しい話である。

 もう一つは車椅子の個別管理。修理歴が分かれば、と思って始めたのだが、しかしこれは全く思った通りには行かなかった。
 最初は一部署ずつ調べ始めたのだが、一度全部調べたはずなのに次回行くと数えていない車椅子がある。原因はすぐに分かった。車椅子は2Fフロアー、3Fフロアー、デイケア、リハビリ、玄関等多数の部署に配備され、移動しながら運用されているからである。一日で、いや一瞬で全ての車椅子を調べ上げなければならない。これは言うは易いが大変である。前述5カ所をある一瞬で全部数えたとしても、フロアーの利用者が車椅子に乗って4Fにある風呂に行っているかも知れないし、外出許可を貰って外出しているかも知れない。また当初はシールを貼って個別認識をしたのだが、それが剥がれたり、事情を知らない職員によって他の車椅子に貼られたり、で何度もやり直しをした。そういうわけで最後まで「施設には実際に何台車椅子があるのか」は把握できなかったように記憶している。

 電動ベッドの修理に関しては成功した方だったと思う。
 これが動かない間は職員の介護負担が非常に大きくなるし、どうしても必要な利用者がいれば一時的にでもベッドを入れ替えなければならない。出張修理となれば費用も嵩むのでこれは大きな問題であった。
 構造が分かるまでが大変で「コストダウンと早期修理のためには分解して修理したいが、壊したらアレだし、、、」という逡巡の後決意してモーターハウジングを分解、端子外れを発見した。その後も施設で報告された「故障」の全ては単なる端子外れが原因であり、設備委員だけで対応可能になった。
 ここで施設の運営者に申し上げたいのは「コストダウンを軽々に言って欲しくない」ということだ。結果を見れば「単なる端子外れを発見して修理した」というのは小さいことに見える。それで何万円も浮くのなら「当然職員でやるべきだ」と思うだろうし、次に似た事例が出て来た時にも「この前みたいにやってよ」と思うだろう。しかし△11は、分解組立に失敗した時に「分解しちゃいかん箇所を勝手に分解して壊した」と言われるであろうリスクを背負って施工しているのである。

 困ったのは大規模施設に特有の設備である。配管等規模が大きいこともあってその全貌が全然分からない。
 「業者に依頼すれば?」って修理は無論依頼するのだが、しかし「停電の際非常用電源はどのように動作するのか?」「火災の際火災報知器はどのように動作しどのように対応すれば良いのか?」「スプリンクラーの配管はどうなっているのか?」ということ抜きに決められない事柄もあり、それが分からない時に呼ばれて聞かれるのは設備委員なのである。

 それと併行して「義務化されている時期がもうすぐだから消防署と連携して消防訓練の企画と火災報知器の点検について考えて」「食堂にある湯沸かし器の清掃に関して衛生委員と相談して」とかの仕事が入って来る。
 そういうわけで全く労多くして実の少ない仕事だったが、しかし「大規模施設というものがどういうものか」ということを改めて身を以て体験したとは言える。

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2008年1月 9日 (水)

IHクッキングヒーターの問題点

 01/09にとあることからある人に「IHクッキングヒーターはどうですか?」と聞かれた。その時に答えたことをまとめておく。

 △11はグループホームでIHヒーターを使っていた。だから「電気コンロは火力がない」といった種類の偏見はない。その火力はガスコンロでは体験できない種類のもので、だから不用意にフルパワーを掛けると予想もしなかった焦げ方をする。まぁこれは欠点というよりも慣れるべき種類の話である。
 また以前「消す」動作が不要なのでガスコンロに戻った時に消し忘れする、ということは消える「炎への恐怖」で書いた。

 「天板が真っ平らなので掃除が楽」「持ち上げると火力が掛からない」「火力が感覚的に分からない」といったような通り一遍の感想も持ったのだが、それより△11が印象深かったのはその操作方法である。
 現在のIHヒーターの火力調整は「←」「→」のプッシュボタンで行い、それに伴って火力インジケーターが動く、というのが主流である。ダイヤル式のはないのか、と聞いたら「あるにはあるが非常にマイナーな存在である」という趣旨の回答であった。
 ここで想起されたのはペンタックス ME F/MEスーパーカタログにも書いた、シャッタースピードを「←」「→」のプッシュボタンで行った初期電子カメラの操作系の問題であった。当時はカメラに電子機器が入り始めた黎明期で多分真新しさから取り入れられたのだと思うのだが、実際に使うことを想定すればまどろっこしいのではないかと思ったし、オーナーからもそういう話は聞いた。シャッタースピードを大幅に変更したい際に従来のダイヤル式だと速く回せば速く切り替わるが、プッシュボタン式ではそういう場合にも1つ1つしか変更されないのである。「押しっぱなしで早送り」という機能もあるがこれは行き過ぎた時には改めて反対行きのボタンを探さなければならず面倒だ。しかもこの間、人間の一番重要な感覚器官である目を占有してしまっている。
 非常に大まかに言ってしまえば、、、プッシュボタン式はミノルタαにも踏襲された。しかしキヤノンはキヤノンT90に始まるコマンドダイヤル式を採用した。ニコンはニコンF4に代表されるようにわざわざ機械式だった頃の操作系を踏襲し、後に普及機からコマンドダイヤル式に移行した。無論他にも要因はあったと思うのだが、結果ミノルタはオートフォーカス黎明期の優位を保てず今ではキヤノンとニコンの天下である。

 IHクッキングヒーターを開発している人、購入を検討している人に是非申し上げたいのだが、火力調整はコマンドダイヤル式にすべきだ。鍋が吹きこぼれた時に「←」ボタンを目で探して早押し、あまりに火力を下げ過ぎて温度が下がってしまいまた「→」を早押し、というのはよく見られる光景だがカメラ業界が30年前に経験し修正して来た道である。ダイヤルなら鍋の状況を見ながら手探りで探し出して迅速に調整できる。

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2007年12月17日 (月)

受験技術

 いくつか受験勉強というものを経験して来たので、その中で編み出した技術と言うか何と言うかをまとめておく。

・受験の目的
 受験技術を語る前に確認したいのだが、受験勉強の目的とは何だろうか?

 △11が思うに、受験勉強の目的は合格である。当たり前だ、と言われればそうなのだが、具体例は追々書いて行くとして案外世間では当たり前ではない。
 例えば「合格してからのことを考えるとこれこれもやった方が良い」等という輩がいる。受験勉強中はそんな暇はないんで、そういうことは合格してから考えれば良い。合格する前にしか経験できないことはないのに対し、合格してからしか経験できないことはたくさんある。
 自動車運転免許を例にすればすぐ分かる。机の上で教科書をいくら読んでも「迅速」「円滑」に自動車を運転できるようにはならない。とにかく免許を取れば「安全」に自動車を動かせる程度にはなっているはずである。自動車を「安全」に加えて「迅速」「円滑」に運転できるようになるには路上で実際に自動車を走らせるしかなく、それには免許が必要だ。合格者が「安全」に自動車を動かせる程度にはなっているかどうか考えるのは試験問題を作る人間の役割であって、受験生の役割ではない。受験生は合格さえすれば後はどうでも良いのである。他の試験でも同じである。
 合格して資格者となった後に「一生勉強」なのは言うまでもないが、それは受験勉強ではない。

 確認する。受験勉強の目的は「合格」である。

・受験勉強ですべきこと
 合格ラインを突破すれば良いのであるから、出題範囲の課題の全部を完全に理解する必要はない。しかし苦手分野を残すと合格は遠のくので、苦手分野を重点的に勉強すべきである。
 「苦手分野は勉強するのが辛い」という者がいるが、苦手分野こそは大きな得点アップに繋がる宝の山である。70点取れていた科目を90点にするのと40点しか取れなかった科目を60点にするのでは、合否に関する効果は全く同じであるが、断然後者の方が楽である。辛いどころか楽で効果が高い勉強だ。10点しか取れなかった科目を30点にするのはもっと楽である。

 基本的に△11が目標とするのは過去問全てに理由をつけて正答できるである。これができるようになっていれば次の問題でも8割は正答できるし、それで合格しない試験はあるまい。「過去問は二度と出ないから重要ではない」等という馬鹿は相手にしてはならない。過去問は出る範囲、出ない範囲を教えてくれる。出る範囲、出ない範囲を把握する気がない奴は闇雲に広い範囲を勉強せざるを得ないので落ちる可能性が高い。時間が限られている中で「受験勉強の目的は合格」であれば、出る範囲を勉強することと同様に出ない範囲を勉強しないことも重要である。
 これまで出なかった範囲から出題されることもあるが、そういう問題は数が少ない上に皆できないので合否に影響はない。またそういう問題を「偶然知っていた」のでなく「勉強していたからできた」という奴は、合格しない。どの範囲を勉強すべきか分かっていないということだからである。

・受験勉強前期
 まず参考書と問題集を選ぶ。余程変なものを掴んで来ない限りはどれでも良いのだが、関連団体が出しているものを選んだ方が良い。他の参考書は関連団体が出した参考書の劣化コピーである。多分関連団体は官僚の天下り先なのだろうが、それは仕方がない。

 最初はさらさら読んで分かる箇所は頭に入れて行き、分からないところは無理に覚えずリストアップするに留める。
 周囲に惑わされてはならない。受験仲間でやたら難しいところを覚えて自慢げに唱える奴がいたりするが、そういう奴は合格しない。早い時期に細かいところを覚えても忘れるし、つまり受験勉強前期にそんなことをしているということは受験勉強の仕方が全然分かっていないということだからである。

・受験勉強中期
 一番重要な時期である。正答できる過去問を増やしつつ、受験勉強後期に覚える暗記リストを作る。規則性があれば覚えなければならないことがぐっと減るので、可能なら暗記リストの中に規則性を探す。

 参考書や問題集を換えてはならない。人間は怠惰なので問題集を換えるとまたできるところをやってしまう。1冊をきっちりやることでしか自分のできないところを見つけることは難しい。できないところを探すために勉強するのであるから1冊をきっちりやるべきだ。
 「参考書を1冊全部理解し問題集を1冊全部正答できるようになったら換えた方が良いのではないか?」それは机上の空論だ。本当にそうなっているのだったらそのまま合格するはずだから、それ以上レベルアップする必要はない。最初に確認した通り「受験勉強の目的は合格」なのである。
 だいたい、途中でやり方を変えたくなるのは、単に不安なのだ。それを理解すれば変える必要がないことくらい分かるはずだ。

・受験勉強後期
 残り一週間くらいがこれに当たる。
 この時期すべきことは3つだけである。一つはこれまでやって来たことが今でも確実にやれることを確認すること、もう一つはこれまでリストして来た直前暗記項目を暗記すること、最後は体調を崩さないことである。

・受験日の心得
 「本番はあがってしまう」という人の気持ちが全く分からないわけではないが、本番は重要ではない。試験日試験時間開始前に必要な用具を持って試験会場に到着できたら、既に受験は終わっている。後は自分の知識の範囲内で書いて来るだけのことである。
 よく「問題文を見ていたら分からない問題がたくさんあって頭が真っ白になった」等と聞くが、そういうのは一番の下等である。問題の解き始めは頭がまだ回っていないので分からない問題があっても置いておき、まず他の問題からやっておいてまた後で読めば分かることも多い。もし「分からない問題ばっかりだ」「何度読んでも分からない問題がある」という時にも全く慌てる必要はない。周囲も人間なのだからあなたが分からない問題は周囲も分からないのである。そういう問題がいくつあろうと合否に全く影響しない。要するに冒頭に書いた通り自分の知識の範囲内で書いて来るだけのことである。

 最初から絶対的な正答を出そうと思わなくても良い。△11は肢に
「○」、、、絶対正しい
「□」、、、正しいと思う
「?」、、、分からない
「△」、、、正しくないと思う
「×」、、、絶対正しくない
 の5種類のマークを付けて行く。こうすれば「○」「×」については見直しが不要になる(ただし「○」や「×」を付ける時は問題文の読み間違いがないか確認しつつ慎重にし、時間が余れば見直す)し、「正しい肢をマークせよ」「誤りである肢をマークせよ」等という問題が混在した時も間違えにくく確認が迅速になる。

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2007年9月24日 (月)

ワッチアップ!

 元々はアメリカンフットボールの用語だと、ヨットの雑誌で読んだ。
 △11の理解では、「上を見ろ=足元ばかり見るな」という意味で、具体的には例えば「しゃにむに中央突破を試みず周囲を見て相手の守備陣の薄いところ、味方の攻撃陣の濃いところにボールを回せ」ということである。
 ヨットでは、「ロープや舵の操作に忙殺されるのではなく、風や潮の流れはどうなのか、周囲の船はどうしているのか、自分の船はどうしているのか、その結果どうなっているのかを見て次の戦略を決めろ」ということになる。

 いつ読んだのかはすっかり忘れてしまったけれど、どこの業界でもこれを心がけている。
 そもそも自転車でもスキーでもこれをやっていたから、この文章を読んだ時合点が行ったのであろう。高速走行時には視界全部に10%程度の集中度で意識を分散する、換言すると「どこも(集中しては)見ない」という見方が必要なのだ。何かおかしいと思ったらその箇所に20%程度の集中度を回す。事故の前兆だと思ったら40%の集中度を回す。そして最終的に事故を防がなければならない段階になって80%の集中度をその箇所に回し、回避に全力を挙げるのだ。

 介護の業界に入ってもこれは役に立った。一つ事故が起きると一斉に職員の目が事故に集まる。事故の周囲に人だかりが出来る。本人たちは「仕事をしている」という自覚の元、やっていることは野次馬である。そしてすっかりその他のことは留守になる。他のところで転倒注意者が立ち上がろうとしているかも知れないのに。
 △11は転倒で床に落ちて行く入所者の頭の下に手を入れたりして何度も事故の被害を小さく、もしくはなくした。それを先輩はこう言った「よく事故の時にいるなぁ」そうではない。最初から周囲を広く見渡し、何かおかしいと思ったらその箇所に20%程度の集中度を回す。事故の前兆だと思ったら40%の集中度を回してそちらに走る。そして最終的に事故を防がなければならない段階になって80%の集中度をその箇所に回し床めがけて落ちて行く入所者の頭の下に手を入れるのだ。
 こう書くと物を知らない者はこう言うかも知れない。「最初から視界全体に100%の集中度を持っていればその方が良い」しかしこれは机上の空論であり、ちゃんと仕事をし、そしてその仕事の内容を自覚している人間は絶対にこれに同意しないだろう。全てはトレードオフであり、人間の集中力というものはどこかに回しただけどこかが留守になるものなのだ。

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2007年6月 8日 (金)

コムスンの事件に考える

 コムスンが厚生労働省から介護サービス事業所の新規及び更新指定不許可処分を受け、さらにはコムスンの全事業を処分逃れのためかグッドウィルグループ内で事業譲渡しようとし、厚生労働省がそれを撤回するよう行政指導する、という大騒ぎになっている。

 それで記事に関する感想を読んでいて唖然としたのは「儲けを考える人間が介護に関わっている事自体がおかしい」という意見が意外に多かったことだ。

 確かにコムスンは以前から介護業界では色々悪い噂が流れていたし、今の報道を見ても色々不正の疑いが出てきている。不正があったとしたらそれ自体は許されないことだ。

 しかし、そもそも今の介護保険制度下で、まともに介護事業所を運用していては利益は出ない。

 現在の△11の勤務先はオーナーが「私の老母を入居させたくなるような施設が欲しい」「利益は出なくても大きな赤字でなければ構わない」というような発想でオーナーの自宅敷地の一部が事業所になっている。賃貸マンションでも建てれば相当な賃料が取れそうな立地である。これが「儲けを考える人間が介護に関わっている事自体がおかしい」という人たちの理想の介護であろうし、無論それで全ての介護需要が賄われれば素晴らしいが、実際には「儲けを考える人間」が運営している分を含めても全く需要に対して不足している。
 多分「儲けを考える人間」が運営している介護施設を全部退場させたら日本の介護業界の能力はただでさえ全く不足している現在の1/10程度には下がってしまうだろう。それでは全く利用者のためにはならない。

 パートのおばちゃんたちに「結婚できないよ」「将来どうすんのよ」「こんな業界で働いてるなんてお人好しだねぇ」と言われつつ介護業界に入ってもうすぐ5年になる。現在の△11の給料は夜勤手当を含めた手取りで¥200k行くか行かないか。就職当初から変わったのは経験3年で取った介護福祉士の資格手当くらいか。
 実はこれでも介護業界では非常に恵まれた例であり、施設によっては「夜勤手当を含めて手取り¥170k、賞与なし、4週6休」等という例もざらだ。この待遇で男性が「一生の仕事」として働けるだろうか。
 △11の現在の職場でも前の職場でも、少し前は不景気で他に職がないため職員の回転が早いながらも何とかなっていたが、景気が良くなった?と言われる今は応募者すらほとんどいない。
 人が来ない状況で給料を上げられないとしたら職員の水増しか事業所廃止しかない。

 「儲けを考える人間が介護に関わっている事自体がおかしい」という主張の人たちは、そもそもそういう思想が介護保険制度の報酬を低く保ち、職員に普通の給料を出せないので人が集まらず、不正をしなければ絶対赤字という状態に業界を追いやって来たという現実をご存知ないのだろう。儲けを考えず介護に関わっている人でないことだけは間違いないと思う。

 多分今回の事件で介護を巡る環境が良くなることはないだろう。低賃金で厳しい労働に耐えているコムスンの社員が冷たい視線を浴びせられ、野次馬によってかき回され混乱&悪化するだけで終わると思う。

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