母親とは?
仕事柄、呆れるほど利己主義の親に手を焼く息子娘に接する機会も多い。
依怙贔屓していた子どもに捨てられ、以前虐待し続けていた子どもに対し介護を当然のように頼んで来る、、、正確に言うと本人は頼まない。役所が扶養義務を根拠とし家族に対して依頼するんである。本人はアタリマエのような顔をしている。
介護を始めて見れば、あっちに言ったこととこっちに言ったことが違う。前にやっていたことと今言っていることが違う。前にやっていたことと今やっていることが違う。前に言っていたことと今言っていることが違う。前にやっていたことと今やっていることが違う、、、等々自分のその時の自分の都合で言行どころか言々も行々も不一致。
周囲は本人の使ったエネルギーの100倍以上のエネルギーを使ってフォローに走り回らされる。それで本人が少しでも幸福になるのなら周囲もまだフォローのしがいもあるけど、結局どうでも良いことだったり。
息子さん娘さん「私ら一生懸命介護しているつもりですけど、こんなことされなきゃいけないような、何か本人に悪いことしてますか?」
△11「全くしてません。かえってよくやられていると思います。」
あのね親御さん、周囲にはバレてないと思っているんでしょうけど、援助職からはあなたの我が儘は丸見えだよ。ちゃんと接した人間は皆があなたのやったこと言ったことを知って理解している。立場上何も言わないかも知れないけど。
先行き短いのが分かっているんだから、せめて子供に「色々あったけど、良い親だった」と思われながら死にたいとは思わないもんかね?
いやいやそんな観念理念の話だけじゃなくって、お金は墓場までは持って行けない、は正確ではないに書いた通り、あなた本人の利益のためにも子供に負担をかけないようにするしかないんだけどねぇ。動けなくなった時に助けてもらわねばならない相手の恨みを買って将来どうするつもりなのか。脅かすわけじゃないが、あなたが子供を虐待して来たことが誰からも問題にされずに無事に済んで来たことで分かる通り、家族の間で虐待したってなかなか周囲からは分かりにくいし、もし分かっても問題にしにくいものだよ。
それなのに全然何をしてくれるでもない遠い親戚や知人からは「親というのは、何だかんだあっても最後は子供のことを考えているもの。行き違いはあるかも知れないけど、ご本人だってそれなりの考えがあってそうしているんじゃないの?」とか根拠ない神話を説教臭く語られて二重に被害を受けたり。
そんな親と接すると思い出すのは、同僚のケアマネージャーが担当していたある老々介護の親子だ。
母は90歳台、娘が70歳台。ただの老々介護ではない、娘さんは人工透析の上にパニック障害であるため、どちらかと言えば母親が娘を介護しているのだ。息子さんもいるが遠方であり、気持ちはあるが介護には参加できない。息子さんからは「母と妹揃ってこっちに来ればいいのに」と提案がありお嫁さんも賛同しているが、その母親は「一度行ったのだけれど、知っている人もいない慣れない土地で生きて行くなんて無理」と断っている。それはそうだと思う。
周囲は心配しているが、本人はそう悲愴な感じではない。でもまぁ年齢が年齢だ。「私もこの先長くはないはずだけれど、この娘を置いては死ねないから、生きていられる間は生きていないとねぇ」と淡々と仰る。この人の人生は娘が障害だと分かった時に終わったのかも知れないな。いやそこまで愛せる相手を授かったことが幸福なのか。
爽やかな感動とともに色々考え込んでしまったものだ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント