ロンドンオリンピックバドミントン競技における無気力試合
ロンドンオリンピックのバドミントン女子ダブルスで、3か国の8選手が「故意に負けようとした」として失格になった。
頭おかしい。試合に負けた方が最終順位確定に有利になるなら試合に負けるのが当たり前で、選手を責めても仕方がない。誰でも最終順位確定で有利になるようにするに決まっているではないか。負けた方が有利になる、そのようなルールが間違っているのである。
日本女子サッカーも佐々木則夫監督が組み合わせを考え引き分け狙いを指示した旨公言したではないか。
「サッカーとバドミントンは違う」「あんなあからさまではなく、上手に負けるべき」「負け狙いは簡単だが引き分け狙いはそんなに簡単ではない」とか言っている奴、自分の言っている内容を分かってねぇだろ。
「勝利に向けて全力を尽くさなかった」ことが問題になっているのだから、あからさまな負け狙いも引き分け狙いもその意味では一緒。
ルールは「誰が見てもどういう判断が下されるべきなのかが明らか」な文面でなければならない。もし後で「スポーツ精神」などと抽象的な理念に基づく判断を持ち込めるのなら、ルールなんかあっても意味がないじゃないか。
そもそも「目立たないようにうまくやればOK、あからさまだったらNG」などという話がスポーツ精神に沿った話なのか?
マラソンで例えば「30kmまでトップに立たず2番目のグループについていく」という戦略は良いのか。
サッカーのオフサイドトラップは良いのか。言うなれば明らかに「ルールを逆手にとった卑怯なプレー」だろ。
野球やソフトボールで強打者を敬遠するのは良いのか。ノーストライク3ボールでバッターが1球打つ気なしで見るのはどうなのか。
テニス、卓球、バドミントン等のダブルスやバレーボールなどの球技でヘタな奴を集中攻撃するのは良いのか。
ボクシングで相手が弱ったところにラッシュをかけても良いのか。
短距離走だって水泳だって決勝にエネルギーを残すため、決勝に残れる範囲で予選に全力を出さないトップ選手なんかいくらでもいるだろう。
「全力を尽くしていない」「スポーツ精神に則っていない」などという抽象的な理由で失格にできるなら、これら全部後出しかつ審判が恣意的に失格にできることになってしまう。
スポーツ精神を考えるのはルールを考える時にすべきだ。その後は、注意はできてもルールに反しない以上処分は難しい。失格などという一番重い処分を下すなどトンデモナイ話だ。
スポーツとは、予め決められたルールの中で優劣を競うものである。
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