曰く「狂気の沙汰」、曰く「戦後の繁栄の礎」。
曰く「戦力の無駄遣い」「アメリカの戦争継続をほとんど不可能なところまで一時は追いつめた」。
曰く「強制もあった」「志願制であり、実際の実質も全部志願」。
これまでに散々色々な評論を読み、聞いて来た。
それなりに考えはまとまっていたが、やはり何か書くならあの場所に行った上でなければ無責任になるとも考えていた。その場所とは、知覧特攻平和会館、鹿屋航空基地史料館、万世特攻平和祈念館である。
遺影と遺品に埋め尽くされているフロアーに身を置いてみて、それまでの考えはやはり大筋では変わらなかった。
一つは、特攻を考え指導した軍の首脳と、隊員で分けて考えねばならないということだ。一番端的なのは天皇の
》そのようにまでせねばならなかったのか。しかし、よくやった
(安延多計夫『あゝ神風特攻隊 むくわれざる青春への鎮魂』P32)
という言葉で、よくその複雑さを表しているように思う。これを言われた大西瀧治郎は叱られたと感じたと言うが、実際隊員については賞賛したと同時に、軍の首脳に関しては叱ったのだと思う。
そして少なくとも隊員たちについては「狂気の沙汰じゃなかった」ということだ。何を守ろうとして飛び立ったのかは人それぞれかも知れないが、自分の守りたいものを守るためにはどうすれば良いのか静かに考え、軍の上司が特攻が必要だと結論した以上それに殉じようと考えた人たちがたくさんいたということだ。発進から数時間もあるのに、冷静でなくて突入できるものか。
もう一つは、それでもやはり「戦後の繁栄の礎ではない」ということだ。真面目で誠実だった彼らが生き残って戦後の復興に力を尽くしたなら、さらに復興は早く進んだに違いない。戦争は負けると分かった時点で無条件降伏であれ敗戦という形で終結させるしかなかったものを、この国の当時のリーダーが手間取ったがためにそういう形に追い込まれたのだ。その死を「無駄だった」と考えたくないのが遺族感情だろうが、やはり無駄になったと考えるしかないし、そう考えないのは危険な美化である。
無駄でなかった、有益な死だった、と本心から言い張るのであれば、その成果と引き換えに生きて帰る可能性がある時にそれを望まないはずである。しかし生きて帰らせることができたとしたら、それを望まなかった遺族はないだろう。
強制/志願については、こう考える。
企業に「サービス残業」なるものが横行し、天皇の死後や大震災後に遊びを「自粛しろ」と言われるこの国で、一体「志願制」というタテマエを無邪気に信じる者がいるとしたら、それはかなり世間知らずなのではないか。
確かに心底志願した人たちも多数いただろう。それまでに「鬼畜米英」と教えられ、実際にアメリカ軍には無差別絨毯爆撃など幾多の国際法違反があった。そのアメリカ軍が圧倒的な戦力で日々刻々攻め上げて来る。戦友が「先に行く」と我先に飛び立って行く。未熟な自分たちに他の方法はなさそうだ。その状況で特攻に志願するのは自然なことだったのだろう。しかし彼ら全員がそのように思ったとは限らない。
実際知覧で流されていたビデオで、富屋食堂の女主人で特攻隊員の世話をして「おばさん」「おかあさん」と慕われた鳥濱トメさんが宮川三郎軍曹との会話を語っているが、その中に宮川三郎軍曹が「僕は帰って来る」と言ったので鳥濱トメさんは「そんなことを言ったら憲兵に捕まってしまうよ」と心配した、という場面が出て来る。当時の雰囲気では到底そんなことは言えない雰囲気だったということだ。実際にはこの話は「特攻で戦死して蛍になって帰って来る」という意味なのだが、完全な志願であるというのであれば、出撃までに「やっぱりさすがに絶対に死ぬことが決まっている形で行くのはなぁ、、、」というのも、好ましくはないまでも、最終的には許容されて然るべきではないのだろうか。
また純粋に志願した人たちも、何らかの形でその後の状況を見たらどう思っただろうか。機材故障で帰還し再度の出撃を懇願した隊員の中には上官に罵倒された者もあったという。日本は無条件降伏し、「鬼畜」であったはずのアメリカ兵はチョコレートやキャンディーを子どもたちに配りながら進駐し、各地で歓迎された。若い女性の一部はアメリカ兵の売春婦になって生き存えた。「我も後に続く」と言って特攻を命令した軍のトップは、自刃した大西瀧治郎(敗戦当時軍令部次長、海軍中将)、突入した宇垣纏(敗戦当時第五航空艦隊司令長官、海軍中将)など少数の例外を除き、そのほとんどが天寿を全うした。ある者はアメリカのご都合により進められた再軍備組織自衛隊の幹部として、またある者は無条件降伏した経緯から終始アメリカの意向を酌まざるを得なかった日本政府の政治家として、である。
戦果についての評価は、今でもどう考えれば良いのか分からない。
精神的には、大きいのかも知れない。アメリカ軍人は、生きているパイロットが乗ったままの飛行機が躊躇なく突っ込んで来る恐怖について語っている。今でもアメリカがアジアの国への経済制裁を躊躇するのは、この件とベトナム戦争があるという。「アジア人を怒らせるととんでもなく恐ろしいことをするんだ」という恐怖を植え付けたということだ。
実質的には、その戦果はその損害に対してあまりにも少ない。特に後になるに従いアメリカ側は戦闘機とレーダーと対空砲火で特攻対策をしたのに対し、日本側は新鋭機がなくなりパイロットの練度は低くなり、、、ほとんど戦果は挙がらなくなって行く。これに関しては特攻を主体とする幹部に対して、芙蓉部隊を率い夜間戦闘を行なって成果を上げていた美濃部正海軍少佐が階級差も省みず言った言葉が端的であろう。
》現場の兵士は誰も死を恐れていません。ただ、指揮官には死に場所
》に相応しい戦果を与える義務があります。練習機で特攻しても十重
》二十重と待ち受けるグラマンに撃墜され、戦果をあげることが出来
》ないのは明白です。白菊や練習機による特攻を推進なさるなら、こ
》こにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといいでしょ
》う。私が零戦一機で全部、撃ち落として見せます。
本来航空機の操縦は難度が高く、まず飛んで降りるだけでも大変である。そもそも通常攻撃をするだけの兵力養成が間に合わないから特別攻撃という話になったのに、兵力を使い捨てするこの作戦には矛盾がある。
ただし個人的に美濃部正の主張に全面的な賛同をしているわけではない。
美濃部正は一概に特攻を否定しているわけではなく、この時点で「特攻しかないなら仕方がないが、特攻より戦果を挙げられる方法がある」という主張である。
△11の主張は「特攻なんかを考慮せざるを得ない状況なら無条件降伏しなければならない」であり、本質的にはかなり違う、、、というよりそもそも立ち位置が違うのだ。
結局そもそも大西瀧治郎自ら「特攻は統率の外道である」と言っていた特攻について成果を評論する意味はあるのだろうか、というのが△11の考えだ。
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