2013年4月23日 (火)

母親とは?

 仕事柄、呆れるほど利己主義の親に手を焼く息子娘に接する機会も多い。

 依怙贔屓していた子どもに捨てられ、以前虐待し続けていた子どもに対し介護を当然のように頼んで来る、、、正確に言うと本人は頼まない。役所が扶養義務を根拠とし家族に対して依頼するんである。本人はアタリマエのような顔をしている。
 介護を始めて見れば、あっちに言ったこととこっちに言ったことが違う。前にやっていたことと今言っていることが違う。前にやっていたことと今やっていることが違う。前に言っていたことと今言っていることが違う。前にやっていたことと今やっていることが違う、、、等々自分のその時の自分の都合で言行どころか言々も行々も不一致。
 周囲は本人の使ったエネルギーの100倍以上のエネルギーを使ってフォローに走り回らされる。それで本人が少しでも幸福になるのなら周囲もまだフォローのしがいもあるけど、結局どうでも良いことだったり。

息子さん娘さん「私ら一生懸命介護しているつもりですけど、こんなことされなきゃいけないような、何か本人に悪いことしてますか?」
△11「全くしてません。かえってよくやられていると思います。」

 あのね親御さん、周囲にはバレてないと思っているんでしょうけど、援助職からはあなたの我が儘は丸見えだよ。ちゃんと接した人間は皆があなたのやったこと言ったことを知って理解している。立場上何も言わないかも知れないけど。
 先行き短いのが分かっているんだから、せめて子供に「色々あったけど、良い親だった」と思われながら死にたいとは思わないもんかね?
 いやいやそんな観念理念の話だけじゃなくって、お金は墓場までは持って行けない、は正確ではないに書いた通り、あなた本人の利益のためにも子供に負担をかけないようにするしかないんだけどねぇ。動けなくなった時に助けてもらわねばならない相手の恨みを買って将来どうするつもりなのか。脅かすわけじゃないが、あなたが子供を虐待して来たことが誰からも問題にされずに無事に済んで来たことで分かる通り、家族の間で虐待したってなかなか周囲からは分かりにくいし、もし分かっても問題にしにくいものだよ。

 それなのに全然何をしてくれるでもない遠い親戚や知人からは「親というのは、何だかんだあっても最後は子供のことを考えているもの。行き違いはあるかも知れないけど、ご本人だってそれなりの考えがあってそうしているんじゃないの?」とか根拠ない神話を説教臭く語られて二重に被害を受けたり。

 そんな親と接すると思い出すのは、同僚のケアマネージャーが担当していたある老々介護の親子だ。
 母は90歳台、娘が70歳台。ただの老々介護ではない、娘さんは人工透析の上にパニック障害であるため、どちらかと言えば母親が娘を介護しているのだ。息子さんもいるが遠方であり、気持ちはあるが介護には参加できない。息子さんからは「母と妹揃ってこっちに来ればいいのに」と提案がありお嫁さんも賛同しているが、その母親は「一度行ったのだけれど、知っている人もいない慣れない土地で生きて行くなんて無理」と断っている。それはそうだと思う。
 周囲は心配しているが、本人はそう悲愴な感じではない。でもまぁ年齢が年齢だ。「私もこの先長くはないはずだけれど、この娘を置いては死ねないから、生きていられる間は生きていないとねぇ」と淡々と仰る。この人の人生は娘が障害だと分かった時に終わったのかも知れないな。いやそこまで愛せる相手を授かったことが幸福なのか。
 爽やかな感動とともに色々考え込んでしまったものだ。

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2012年9月15日 (土)

ケアマネージャーの選び方を考える

 介護支援専門員、いわゆるケアマネージャーとして働いていて、また知人が親の介護をしているのを横目で見ていて、思ったことはケアマネの重要性である。

 △11を信頼してくれた人たちは口を揃えて「いや〜△11さんに担当してもらって本当に良かった、こういうケアマネさんでなければどうしていいか困ってしまうばかりだった」という。
 まぁそれはお世辞が入っていたり、介護保険制度の功績をケアマネの功績と勘違いした分とかで相当上乗せされているのだろうとは思うが、しかし100%全部が全部そうでもないのかな、と思ったのは、知人が親の介護をしているところについたケアマネの仕事ぶりを伝え聞いた時である。

 例えば、現状要介護1の認定を受けている人がベッドを必要としているとする。ベッドを借りる費用は¥10k/月程度、介護保険で借りれば利用者負担1割、すなわち¥1k/月程度である。
 介護保険でベッドをレンタルするには、原則要介護2以上が必要だ。
 △11なら「どうやって借りようか?」と考える。要介護1が実態を反映していなくてもっと悪いのであれば更新を待たず区分変更を申請し、要介護3なりにして借りれば良い。実態も要介護1なのにベッドだけが必要なら、ケアマネと主治医が必要性を認めている旨の特例申請を区役所に出し、条件不備がなければ借りられる。条件が合わなくて特例申請も無理なら安価に貸してくれる事業者を探す手もある。△11の把握している範囲でも¥3k/月とか、数量限定ながら¥1k/月とか、電動でなくパイプベッドで良いなら¥0.8k/月とかで貸す業者があった。
 ケアマネだって全てが分かるわけじゃないんで必要性について自信が持てない案件もあるが、しかしそれなら信頼できる福祉用具業者に声を掛けて同行してもらい本人と会えば良い。仕事に繋がる可能性があるから福祉用具業者は喜んで来てくれて、経験と知識の限りを尽くして助言してくれるだろう。要否は最終的にケアマネの責任で判断しなければならないが、判断より前に経験と知識のある福祉用具業者に助言を受けるのは有益なことである。
 しかし、知人の親についたケアマネの某は区分変更も特例申請も出さず、福祉用具業者に連絡も取らないまま「要介護1だからベッドを借りるなら実費になる」と言い続けるだけで済ませたという。本人はがんばり屋なのでトイレを自分で行っているものの、事実上寝たきりに近いのに、だ。

 例えば、臨時にショートステイを使いたいとする。
 これは△11にとって鬼門と言うか、大変な問題だった。地域性もあるのかも知れないが、まずなかなか空きがない。空きがあっても本人と事業所で契約をしなければ使えない。一度契約をして使っても次は空いておらず契約事業所ばかりが増える。あまりに遠いと送迎があるかどうか、本人が車酔いしないかが問題になる。医療的配慮が必要になる人はそれに対応できる事業所でなければならない。というわけで、事業所の誰かがショートステイで困るとそこにいるケアマネ全員で手分けして名古屋市中の事業所に電話をかけまくって空きを探したものだ。一体何軒かけたやら。
 しかしこれ、ケアマネがもしサボリたいと思えば、馴染みの2〜3軒に電話確認して「空きがないので無理です」の一言で済ませても、本人や家族はケアマネが仕事をしているのかしていないのかは分からないのである。

 例えば、介護における留意点が主治医から提示されたとする。
 △11なら、介護における留意点は、自分で整理して各事業所に伝達する。介護を取りまとめる立場である以上基本的な医療情報はどっちにせよ持っていなければならないし、本人や家族はそうでなくても大変なんだから、事業所への基本情報の説明は家族からではなくケアマネからすべきだ。いつもしている仕事の一環だし、すでに整理して持っている情報を送るだけだから大した手間でもない。ケアマネが他事業所との情報交換に慣れていないとか、基本的医療情報を整理して持っていないのであればそのこと自体が根本的問題だ。通常は家族や医療相談員から聞くことになるが、それだけでなく手術後の説明に家族と一緒に立ち会って、外科医から直接説明を受けたこともある。無論詳細は本人や家族から直接事業所側に少しずつ話してもらうことになるかも知れないが、、、
 しかし、知人の親についたケアマネの某は「事業所には自分で話をして下さい」と言って済ますらしい。知人は医療的な指示が医師から出るたび、自分で事業所の数だけファックスを書いて送付していた。△11はこの話を聞いて首をひねって考えて込んでしまった。ケアマネよ、アンタが介護に関する情報集約をしないんだったら、金をもらってしているはずの、アンタの仕事は何なのだ?
 △11は「そんなケアマネ代えればいい」とアドバイスし続けたが、なかなか代えづらいものらしい。そりゃそうだよね。家族からしたら、サービスの中核になる人を代えたらどうなるか、想像もつかないんだろう。でも情報集約はしない、必要なサービスを使わせない、そんなケアマネならいるだけ邪魔だ。排除して良くなることはあれど困ることは何もないぞ。
 ある入院の際に医療的配慮が非常に増え、退院時に病院から医療に強いケアマネ紹介の提案があった機会に△11から強く「今ケアマネを代えなければおめぇ一生後悔するぞ!」と言ってケアマネを更迭させ、その後は家族が目を見張るほど話が進んで「早く代えれば良かった」と言っていた。当たり前ぢゃ。
 
 純粋な介護でなくても、ケアマネをして行く上で知っておかねばならない情報、知っておいた方が利用者のためになる情報が、世の中にはたくさんある。
 例えば障害福祉制度、生活保護制度、高額医療費制度、名古屋市のマル福制度、家政婦事業所、日常生活用具給付、福祉電話やあんしん電話貸与、消防情報登録制度、生活援助軽サービス、美味しい弁当宅配業者、、、利用者本人の状況に応じて何が使えるのか、提示してあげなければ本人や家族は知らないまま数万円/月規模の経済的負担や、重い物理的負担を強いられる場合もある。

 最初の話に戻る。誰がケアマネを担当するか、で全然介護負担は違って来る。では一体どのようにケアマネを探せば良いのか?
 △11が区役所の福祉課に書類を出して待っている間、時々窓口に相談に来ている人を見かけた。区役所の人から分厚い冊子になった介護事業所一覧を渡され「この中からケアマネさんを選んでお願いして下さい」と言われるのだが、さて受け取った方は途方に暮れている。介護した経験のない人には当然どのような条件で探せば良いのかなんて到底見当がつかないだろうし、そもそも冊子には事務所の名前と連絡先が並ぶだけでどういう事業所かは書いてない。区役所の人が不親切なわけでもない、公務員なので「どこの事業所が良い」とは言いにくいのだ。
 △11がいた事業所はノルマというものが特にあったわけではないが、途方に暮れている家族がいた時に声を掛けようかと思ったこともある。しかし同僚の手前あまり営業みたいなことで仕事を取って来ると妬みとか変なことになるのも嫌だった。

 今、誰か知人に「ケアマネってどうやって探すの?」と聞かれたとして、実際ケアマネの側から考えても、なかなか妥当な解決策は見当たらない。

 とりあえず今思いつく話をすれば、、、
 ケアマネは主に介護福祉士と看護師から来ている。進行性の病気がある人を介護するには医療の知識が必要になってくるので、看護師からの人を選んだ方が良いかも知れない。生活やリハビリの範囲なら、介護福祉士からの人を選んだ方が良いかも知れない。
 分からないことをごまかさず、調べて来る人がいい。誰でも分からないことはあるが、調べることはできる。
 話をよく聞いてくれる人がいい。「ケアマネは人間相手の仕事なんで、パソコンの能力なんか関係ない」という人もいるが、あまりにパソコンを使うのが苦手な人は利用者の話なんか聞いてられる時間が取れなかったりするので一概には言えないと思う。△11が愚痴なんかでも相当聞いていられる時間を取れるのはひとえにパソコンで書類を作るのが速いからだ。毎月一回ある提供表の作成とか、同僚が丸一日掛かる作業を20分くらいで済ませるもんねぇ。無論事務をさっさと済ませても、それで生まれた空き時間を利用者との話に充てずサボるのに使うケアマネもいるかも知れないが、、、
 自宅から距離的に遠くない事業所のケアマネが良い。どんなに良心的であっても、物理的距離を埋めるのは大変なことだ。特別近い必要はない。まぁ、事業所の勤務体制が寛容であればある程度距離があってもどうにかなるので、重要な要素ではないかも知れないが、、、
 自分の所属するグループの事業所以外使わないケアマネは良くない。本来ケアマネは中立なのだが、独立ケアマネを除けば、事実としてある程度は自分のグループの事業所を使うよう有形無形の圧力がある。それ自体は資本の論理として当然だと思うし、実際自分のグループの事業所は情報交換が密にできるなど利点も多く使いやすいので、△11も特に支障がなければ最初の選択肢として勧めることが多い。しかしケアマネが自分の所属するグループの事業所につき「利用者と合わない」「能力が不足している」等と判断した場合に、所属グループの事業所をぶった切って資本上無関係なグループの事業所からも選択できるような社風のグループでなければ、そして選択できるケアマネでなければ、合わない事業所をケアマネに押し付けられることになってしまう。ただグループの社風を事前に確認することは難しいかも。

 結論が「う〜む難しいよねぇ」で終わるのも申し訳ないのだが、何人か実際に会ってみて、人間として合いそうな人を探すしかないのかも知れない。本当はケアマネとのマッチングを効率化最適化することは社会的に大きな課題なのだという問題提起はしておきたいと思う。
 逆に言えばそこが重要で、自分で努力したらしただけの甲斐がある、ということだ。契約前に色々話をしてみれば良いし、契約後でもケアマネに疑問を持ったらそのケアマネにぶつけてみれば良い、それで解消されなければ代えてみれば良い。
 「毎度ケアマネ交代なんて次のケアマネにクレーマーだと思われるのではないか?」そりゃ正直なところ思うようにはなるが、話をしてみて言っていることに筋が通っていれば、「前のケアマネが酷かったんだな」と思うようになる。実際そういう事例があった。

 △11はご本人のレベルによっては、初訪問時ご本人さんに「夢」を聞いていた。無論本人や家族の努力とケアマネの能力によっては実現する夢もあるだろうが、まずは実現可能かどうかは関係ない。どういう夢を持っているかにより「どういう生活をしたいのか」が見えて来る。
 また「夢」ってのは「結局本人がどうしたいか」であって、要はケアプランに出て来る「長期目標」よりも長期の、「超長期目標」とでも言うべきものなのだ。
 「実現不可能な夢」に対して、笑わずにちゃんと対応したい。無論ここで言う「対応」とは、イエスマンで受け入れるのではなく、最終的に具体的ケアプランに落とし込むべく本人を説得することを含む。大変ではあっても、現状維持のケアプランより作りがいもある。

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2012年7月12日 (木)

福祉関係者は事故対策を航空業界に学べ

 介護で働いている時、申し送りで事故の報告があるとする。その申し送りの締めに介護主任が「皆で事故に気をつけましょう」というコメントをして申し送りが終了することがよくあって、△11はこれが嫌いだった。

 誰だって事故は嫌だから、事故の前だって、皆自分の能力の範囲で気をつけていたはずである。
 例えば「人員配置が悪い」とか、「確認事項が多い上に確認システムがちゃんとしていない」とか、何か「皆で事故に気をつけ」てもカバーできない問題があるから、事故が起きているわけなのだ。

 そこでのコメントが「事故に気をつけましょう」ということは、論理的可能性として

・介護主任は「皆が故意に集中力を下げていた」と認識している。
・介護主任は事故対策をする気がない。

 のどちらかしかない。

 「んな細かいこと、揚げ足取りだ」と言う人も多いかも知れない。

 しかし、本当に事故を減らしたいのか。
 減らしたいならば、人間に無限の集中力を要求してはならない。人間の集中力が有限であるという厳然たる事実を直視し、その有限な集中力をどう活用すれば事故に繋がらないようにできるのか考えて指示を出すべきだ。

 どうも「事故に気をつけましょう」に限らず介護業界には、「私は事故が起こらないように対策しました」と言えるためだけの対策が多いように思う。
 本当は、例えもしそれが他の職場との広範な連携が必要になり一時職場で「面倒臭いこと言い出しやがって」と思われ疎まれるような内容であっても、例えもしそれが周囲の素人、、、警察、報道、野次馬その他もろもろ、、、から「おぃおぃそんなことやったから事故が起きたんじゃないのか」とか「マヌケかつ事故対策と関係がない」と思われそうな内容であっても、実際に事故が減る対策を断行するのがプロの役割じゃないのか。

 △11が見る限り、そういう「実質の事故対策」というものが一番生きているのが航空業界だ。

 例えば自動車業界、鉄道業界、船舶業界、山岳業界と事故対策が課題の業界は他にもいっぱいあるが、なぜ航空なのか。
 これは簡単。航空業界が一番「本来は危ないこと」をやっているからだ。航空機は、燃料を使って金属の塊を空中に浮かべている。そして矛盾を含んだ難関「着陸」を乗り越えないと安全な状態に移行できない。色々な危険因子が時間制限つきで変化し、その中で適切に対応しなければ絶望的な状況に直結する。
 そんな中での安全対策であるから、実質を伴わないタテマエなんか言ってられない。是が非にも実質的な対策を採らねばならない現実が目の前にあるのだ。
 航空業界の人が書いた事故に関する対策で「皆で事故に気をつけましょう」なんて甘っちょろいことが書かれているのは見たことがない。
 そうやって実質の事故対策に邁進してきた結果、数ある輸送手段の中で一番「本来は危ないこと」をやっている航空機が、実際には一番安全である。

 だから、何もせず「事故に気をつけましょう」と内輪のナァナァで済ませて行くことも可能な介護業界にあって、それに甘んじたくない人は、介護業界の事故対策を勉強した上で航空業界の事故対策も勉強すると有効だと思う。「どうしてそういう選択をしたのか」「本当の事故対策とはどういうものなのか」、その通底に流れる思想を航空業界から汲み取るのである。

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2008年8月28日 (木)

福祉住環境コーディネーター2級合格

 報告していたと思い込んでいて遅くなったが、合格していたのでお知らせ。得点は90点。

 合格発表は08/22とされていたが実際には08/20に封書が来た。周囲に聞いても08/20に来た人4割、08/21に来た人6割といった感じ。
 不合格は葉書で通知されるようだ。

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2008年7月13日 (日)

福祉住環境コーディネーター2級受験

 今日は福祉住環境コーディネーター2級の試験だった。

 会場は名城大学。合格ラインは70点。

 さっき速報で自己採点をしたら90点だったので合格は間違いないだろう。

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2008年3月19日 (水)

介護支援専門員実務研修修了

Scan0286  03/18、研修を修了、修了証を貰って来た。

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2008年2月24日 (日)

引き伸ばしレンズから始めた芸術論

 撮影レンズの善し悪しの話はよく聞くが、引き伸ばしレンズの善し悪しはあまり聞かない。以前どこかで「写真は撮影と引伸で完成するわけで、撮影機材ばかりに情熱を傾けるのは片手落ち、撮影機材を選ぶのと同等の情熱を引伸機材を選ぶ際にも持つべきだ」という意見を読んでいたく納得したことがあるのだが、△11の実体験から来る印象はこれに沿わない。撮影レンズでもあまり差を感じないが引き伸ばしレンズはそれに輪をかけて何でも良い気がする。
 理由を考えるに撮影レンズは三次元を二次元に変換しなければならないわけで、その分難しいのかも知れない。

 無論二次元を二次元にコピーする場合にもデータ欠落は避けられないが、三次元を二次元に変換する場合それと比較にならない大きな量のデータ欠落があるのは想像に難くない。しかもその場合、何と言うか、「検証」が難しいのではないか。

 今介護支援専門員の研修を受けているが、目標を書く場合に必要なことの一つに「検証可能性」がある。誰が見ても「達成された」「達成されていない」という判定が出来るか、ということだ。例えば「歩けるようにできるだけ頑張る」が目標では達成できたのかどうか判定が出来ない。「介助なしで安定して10m歩ける」が目標であれば達成できたのかどうか誰でも確実に判定が出来る。だいたいどこの世界でも目標とはそのように定められるべきものだ。
 レンズ評価の世界では、そのような理由で出て来たのが「解像力」であった。「解像力のあるレンズを使えばシャープに写るだろう」という一種素朴な考えからである。しかしその後、実際には「解像力が高くてコントラストが程々のレンズ」より「解像力がそこそこでもコントラストの高いレンズ」の方がシャープに写る傾向にあることが分かって来て、「コントラスト」が重視されるようになった。しかし今では「シャープさ」そのものがレンズ評価の一要素に過ぎないとされている。
 クラシックレンズのブームのさなかには「このレンズで写すと立体感が出る」なんてことも言われたりしたが、二次元では本来立体感は出せないハズであり、言うなれば芸術の領域である。極論すれば、三次元と二次元は所詮別の物なのだから、「どうしたら正解」というものがないのではなかろうか、と思うのである。

 ここで思いついたのは「データの欠落が大きい場合、芸術性が問われるのではないか」という仮説である。
 データ欠落が少ない場合、もしくは元データの物凄さが認識されていない場合、「元データ」に対して近づける努力が無駄ではないように見える。だから開発者は努力するし、他の価値を探すなど考えもつかない。その場合「元データ」との差が人間の感覚で感知できなくなれば成功である。しかしデータ欠落が大きくどうやっても「元データ」と似ても似つかないコピーしか作れない場合、「元データの復元」などというものは幻想に過ぎない。復元を諦めた時、逆に開発者は自由に自分の創造力を発揮できるわけである。
 例えば昔の絵画の世界では、対象物そのものに見えるリアルな絵が評価された。しかし写真という新技術が出て来て、それと比較して見るとデータ落ちの莫大さが明らかになってしまったのである。ただそれで絵画が無価値になったわけではない。確かに写実的に描けるだけの画家は無価値になったが、芸術としては生き残ったわけだし、写真というものが出て来たからこそ芸術的絵画の価値が鮮明になった。
 オーディオの世界でも昔は「原音再生」ということが言われていた。しかし少しでも注意深く原音を聞いたことのある者にとって原音再生など夢のまた夢であり、それを真面目に語ることは原音を聞いたことがない証明と言っても良い。

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2008年2月12日 (火)

「菜の花の沖」を読んで介護業界を考える

 司馬遼太郎の小説である。

 ちゃんと読んだのは10年程前であろうか。
 内容は、淡路島で貧農の子として産まれた高田屋嘉兵衛が村八分になり、神戸に逃れて樽回船の船乗りとなって成功し、その後独立して北前船の船乗りとなり、北海道開拓さらにはロシアとの外交にも一役買って行く話である。

 で、、、冒頭から全然違う話。
 介護業界で少し前にコムスン問題が起きたのは皆の記憶に新しいだろう。あの時世評のほとんどは「利益を追求する者は介護業界に来る資格なし」であった。その世評を聞いて介護に関わっている者は「じゃあ誰が介護するんだよ」と憤慨したものである。
 「介護は公共サービスとして国や自治体が責任を持って行うべき」という論評もあったが、これも間違いだろう。長い間日本人のそういう固定観念に従っ て行われて来た結果行政は肥大し、しかも「親方日の丸」「護送船団」で効率が悪く介護保険導入以前はほとんど機能不全に陥っていた。
 そもそも介護保険とは、平日の9時から17時までの間公務員のみによってサービスするだけの旧制度では到底埒が明かず社会的入院によって凌いでいたところ「介護業界に民間活力を導入しよう」という趣旨で2000年に始まった制度であった。問題を多々抱えながらもやっと形になりつつある制度につき問題の性質も分析しない者から「問題が起きたから元に戻せ」ではお話にならない。架空請求等の不正は問題だが、巧く経営してもぎりぎりの利益しか出ない制度にも問題がないわけではあるまい、、、ということも含めて以前の記事コムスンの事件に考えるに書いた。

 また唐突のようだが冒頭の話に戻る。最近何気なく「菜の花の沖」を再び手に取って、ハタと気がついたことがある。
 高田屋嘉兵衛が北海道開拓に関わって行く辺りで、先輩である神戸の船主たちが盛んに「幕府の仕事には深入りするな」という趣旨のアドバイスをしているのである。
 つまり、公共事業ってのは一時は儲かっても、政府内の対立に巻き込まれる、設備投資をさせられた後方針の転換により注文が途絶える、代金を値切られる等のリスクが大きいということである。介護業界にいると「どっかで聞いた話だ」と思うところ多であった。

 介護保険制度は2006年に改正され介護報酬が引き下げられた。
 2000年に国が定めた制度を見て「これなら事業として成立する」と考えて参入し、その当初の計算通りそこそこうまく行っていたのに、この改正で赤字転落 させられた業者は多いのではなかろうか。言うまでもないことだが事業参入は私人手持ちの貴重な資本を投入し自己責任において行うのである。「税金の無駄遣いを 防ぐため」儲かる限界はそこそこ程度に法律で限定されており、場合によっては一方的に切り下げられる。結果破産しても誰も救済はしない。

 公共事業とはその中に矛盾を抱えている。利益が上がらなければ誰も関わらない。し かし、公共事業を請け負った者がそれにより多大な利益を得ていたら納税者は「ぼったくりだ」と思うだろう。無論△11自身も納税者の一人であるからそれはよ く分かる。

 では、どうすべきなのであろうか。
 ここからは「限られた資源で、国家として医療と福祉をどうしたいのか」という問題そのものである。日本政府は「介護を医療から独立させる」という道を選んだ。その手段が介護保険制度である。そしてそれが一応の成果を上げていることは、現に老人介護をしている家族、介護を受けている本人に聞けば分かるだろう。よく聞く「長期入院は社会的コストが高い」という理由は本当かどうか分からないが、病院は生活の場ではないので社会的入院は本人にとっても負担が大きいのである。国が在宅介護を推進しているのは「家庭への責任転嫁」ばかりではない。
 そして介護保険制度を選択する以上は、そこで働いている人間がまともな生活を送れるくらいの人件費投入を覚悟すべきだ。今の給与水準では「ボランティア精神に期待している」と言われても仕方あるまい。

 また介護職員の側も「給与が安い」と文句を言うだけでなく、要求している給与に見合った専門的知識を身につけなければならない。今の状況では「どっちもどっち」である。
 ところで、介護職員間で「給料が仕事に見合ってないよね」という会話が交わされることがあり無論介護職員としてそれに同意するのであるが、しかし変な言い方になるが、世間で「仕事に見合った給料」などというものを貰えている人はほとんどいないのではないか、とも思う。例えば農業を見れば、大根1本作って¥150で売るのにどれだけの労力が必要だろうか。工業を見れば、¥1000の売れる時計を作るのにどれだけの資本投資と技術研鑽が必要だろうか。そう考えると「仕事に見合った給料」などというものは幻想に過ぎないのではないか、給料を貰える仕事があるということは凄いことなのだ、と思えたりもする。

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2008年1月24日 (木)

設備委員のお仕事

 以前働いていた老健には例えば事故対策委員とか衛生委員とかの色々な委員会があって、職員は何らかの委員会に所属することになっていた。で、男性職員はほとんど例外なく設備委員に配属されており、△11も例外ではなかった。

 設備委員とは、まぁ改めて説明するまでもなく施設の設備の保守管理をする係である。最初は「バイクの修理とか防水工事の経験もあるから他の奴よりは適任でしょ、故障の報告が来たら対応するだけだ」と軽く考えていた。実際当初は「車椅子のタイヤがパンクした」「居室箪笥の把手が外れた」「居室箪笥の引出前板が外れた」等々故障の報告が入って来たら修理するだけである。
 しかし、だんだんそのとてつもなさが見えて来た。一つ一つは難しくないものも多いのだが、何しろフロアー定員100名、デイケア定員30名の大規模施設である。例えば引き出しの修理で言えば、ある日は夜勤が明けた後引き出しを2つ修理してから帰った。ある日は木工用ボンドを行事の準備に持って行かれており探すのに何時間も掛かった。

 そのうち「こりゃ抜本的に管理して抜本的に対策して故障自体を減らし、かつ発見→修理までの時間を短縮しないとやってられんな」と思い始めた。

 最初に考えたのはよく起きる故障の修理に必要な部品の備蓄である。故障のたびに発注していては時間が掛かって仕方がない。
 しかし前述木工用ボンドは再び行事の準備に持って行かれ、最終的には設備委員専用と明記して備蓄した。引き出しの把手、パンク修理のパッチやムシも大量発注を掛けようとしたのだが、これに待ったが掛かった。総合的に考えれば設備委員が修理した方が安価に決まっているし、「修理をしよう」→「部品がない」→「発注しよう」なんてやっていたら見えないコストがどんどん掛かるので、それと比較すればただに近い部品を少し多めに注文しておくくらいどうでもいい話なのだが、実際に部品が発注されると官僚的観点から「それ何年分?今年必要なだけにしてね」という圧力がどこからかあるようなのである。当然ながら「大量」と言っても当座必要な分の数倍しか発注していないわけで、馬鹿馬鹿しい話である。

 もう一つは車椅子の個別管理。修理歴が分かれば、と思って始めたのだが、しかしこれは全く思った通りには行かなかった。
 最初は一部署ずつ調べ始めたのだが、一度全部調べたはずなのに次回行くと数えていない車椅子がある。原因はすぐに分かった。車椅子は2Fフロアー、3Fフロアー、デイケア、リハビリ、玄関等多数の部署に配備され、移動しながら運用されているからである。一日で、いや一瞬で全ての車椅子を調べ上げなければならない。これは言うは易いが大変である。前述5カ所をある一瞬で全部数えたとしても、フロアーの利用者が車椅子に乗って4Fにある風呂に行っているかも知れないし、外出許可を貰って外出しているかも知れない。また当初はシールを貼って個別認識をしたのだが、それが剥がれたり、事情を知らない職員によって他の車椅子に貼られたり、で何度もやり直しをした。そういうわけで最後まで「施設には実際に何台車椅子があるのか」は把握できなかったように記憶している。

 電動ベッドの修理に関しては成功した方だったと思う。
 これが動かない間は職員の介護負担が非常に大きくなるし、どうしても必要な利用者がいれば一時的にでもベッドを入れ替えなければならない。出張修理となれば費用も嵩むのでこれは大きな問題であった。
 構造が分かるまでが大変で「コストダウンと早期修理のためには分解して修理したいが、壊したらアレだし、、、」という逡巡の後決意してモーターハウジングを分解、端子外れを発見した。その後も施設で報告された「故障」の全ては単なる端子外れが原因であり、設備委員だけで対応可能になった。
 ここで施設の運営者に申し上げたいのは「コストダウンを軽々に言って欲しくない」ということだ。結果を見れば「単なる端子外れを発見して修理した」というのは小さいことに見える。それで何万円も浮くのなら「当然職員でやるべきだ」と思うだろうし、次に似た事例が出て来た時にも「この前みたいにやってよ」と思うだろう。しかし△11は、分解組立に失敗した時に「分解しちゃいかん箇所を勝手に分解して壊した」と言われるであろうリスクを背負って施工しているのである。

 困ったのは大規模施設に特有の設備である。配管等規模が大きいこともあってその全貌が全然分からない。
 「業者に依頼すれば?」って修理は無論依頼するのだが、しかし「停電の際非常用電源はどのように動作するのか?」「火災の際火災報知器はどのように動作しどのように対応すれば良いのか?」「スプリンクラーの配管はどうなっているのか?」ということ抜きに決められない事柄もあり、それが分からない時に呼ばれて聞かれるのは設備委員なのである。

 それと併行して「義務化されている時期がもうすぐだから消防署と連携して消防訓練の企画と火災報知器の点検について考えて」「食堂にある湯沸かし器の清掃に関して衛生委員と相談して」とかの仕事が入って来る。
 そういうわけで全く労多くして実の少ない仕事だったが、しかし「大規模施設というものがどういうものか」ということを改めて身を以て体験したとは言える。

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2008年1月23日 (水)

介護支援専門員研修スタート

 01/22は介護支援専門員の研修の初日であった。最近夜型になっていたので心配したが朝問題なく起床、授業中も居眠りしなかった。一日がかりで大変だが、4人目の講師の方の話はためになる上に面白くて良かった。

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