2006年10月13日 (金)

グッズマニュアル

 1960年代、1970年代、1980年代、それぞれの時代それぞれの分野に詳しい人が執筆している。

Scan0083  1960年代、、、△11は遺物と伝聞でしか知らない。しかし3冊の中では一番眺めていて面白い。

 なぜ面白いのかを考えるに、1つには△11の方に知識がない、というのがあると思う。知っている分野の読み物は、記事の間違いが気になったり、自分にとってもっと面白い物があるのが掲載されていないのにがっかりしたりするものだ。
 それから、どの分野でもまだ全然電子化されていないため、力技を随所に見ることが出来るからだろう。端的なのは時計の分野で、クォーツの時計は1969年発売のため、掲載品は全て機械式なのである。

Scan0082  1970年代。△11が育った時代の前半である。
 まだ子供であったから、ほとんど分からない。それでも兄が使っていたクナイスルのスキー板のデザインと、スーパーカーブーム真っ盛りの当時は必須の知識で誰でも一通り知っていた自動車、古い趣味の一つであるカメラの分野は分かる。

 余談であるが自動車の分野で当時ランボルギーニカウンタックLP400Sはフェラーリ365GT4BBよりメジャーであったし、フェラーリ 365GT4BBはマセラティのボーラ/メラクよりメジャーであったし、ポルシェ911はポルシェ924よりメジャーであったが、この比較全てマイナーな方に魅力を感じる自分は何なのであろうか。単なるマイナー好きではないつもりなのだが、、、

Scan0081  1980年代。△11が育った時代の後半であり、一番好きな年代である。しかしグッズマニュアルに関して言えばあまり面白くない。
 色々要因はあると思うが、一つには、どうもあの時代を後から振り向いてみる場合「電子化」に重点を置かざるを得ないからではないか。カメラの分野を例に取ればミノルタαー7000以降のカメラがほとんどで、それはあの時代を振り返ろうとする場合避けて通れないことであろうが、△11個人としては趣味として面白くないし、面白くない人が多いのではないか。
 もう一つは、自分がかなり詳しい分野もあるせいではないか。総合的に趣味の話をすればそれぞれの趣味は紙面の関係で内容が薄くなるのは当然である。自分のやっていない分野の記事はそれなりに面白いし、いかに自分の育った年代のことを知らないか、と思う。人間の興味の範囲は限られており、世の中は広い。
 それから、望遠鏡等あまりにマイナーな趣味はやはり掲載されない(^_^;

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2006年1月 8日 (日)

1980年代の自転車

 高度化する要求に対応するため、世界共通だった各種規格が崩れ始めた時代ではないかと思う。昔自転車業界は「どこの製品でも組み合わせて使える」という、カメラ業界からすると天国のような噂を聞いていたのだが、実際に△11が首を突っ込んだ頃にはそうではなくなっていた。例えばリア6段だったのが7段になれば、その分スプロケット1枚とチェーンを薄くしないと元あった場所に入らなくなってしまう。シマノが手許で変速できるSTIシステムを考案したのも拍車を掛けた。この時期まで確固たる地位を占めていたカンパニョーロは効きの悪いデルタブレーキなぞを作っていて、実戦能力ではシマノに追い抜かれていたのではないか。

 すぐ廃れたみたいだが、シマノはバイオペースという楕円のフロントスプロケットを出していた。
 廃れたと言えばディスクホイールもこの頃出て一時はレースなら誰でもどこでも使っていたがその後は用途が限定されたようだ。
 以前からあったものではあるが、ミシュランW/Oの非常に品質の高い製品を出してその後チューブラーを駆逐していくきっかけになったのも80年代が終わる頃だった。それまでW/Oをレースに使うなんぞ誰も考えなかったのである。
 モドロがこの頃出したアナトミックハンドルはその後一般的になって行った。
 ハンドルと言えばグレッグ・レモンがスコットDHバーボッテキアに装着してツール・ドフランスに出場、奇跡的な8秒差で逆転勝利し、自転車の1980年代が終わった。

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2006年1月 7日 (土)

1980年代のモーターサイクル

 レーサーレプリカ一色だったと言っても過言ではない。スズキRG500ΓヤマハRZV500Rを頂点とし、後から考えると「誰がどこで乗るんだよ?」と聞きたくなるようなハイパワーでクイックなマシンが氾濫していた。△11の友人Tは走り屋さんでスズキRG250Γ(5型、ウォルターウルフ)に乗って日本平のヘヤピンを80km/hで回る人だったが、それでも「スズキRGV250Γはその能力を使い切れない」と言っていた。不完全燃焼の2ストオイルをサイレンサーから垂らしながら走っているバイクの多かったこと、、、

 △11は亀さんだったので、個人的に欲しかったのはヤマハFJ1200カワサキZXー4ヤマハ AG200(△11の乗り物)BMWK100RSBMWR65辺りであった。 

 実際に所有したのは惚れてしまったドゥカティ 400F3、鳥篭フレームが跨ぐところできゅっと細くなっているのが色っぽかった。

 欠点だらけで褒める人がいないのに好きな人は一杯いて日本平を攻めていると歓声を浴びるヤマハ ポッケは楽しかったが「1速からシフトダウン」した時の恐怖は忘れられず、おかげで現在何速で走っているのかきっちり把握するようになったという御利益はあった。

 実家にあったのを貰って来たホンダ スカッシュはクイックかつコントローラブルなハンドリングでとてつもなく面白かった。

 友人Sはコロコロ乗り換える人で、△11にも貸してくれたのでホンダNS250F、ホンダVT250F、カワサキGPX400R等一時は所有車両のように乗ったのもあったが、ホンダNS250Fのピーキーなのにびっくりした程度で、特別な印象はない。何しろドゥカティ400F3に接していたので、日本の中型バイクはどれも無個性に感じた。

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2006年1月 6日 (金)

1980年代の自動車

 外国の小型車では、コスワースがエンジンチューンしマニュアルミッションを載せたベンツ190E2.3ー16、デザインが絶対日本じゃないシトロエンBXスポーツ、ちょっと玄人な感じが良いサーブ900ターボ16Sやボルボ244、羊の革を冠った獅子プジョー405MI16辺りが好きだった。アウディクワトロクーペもスマートで格好良かったなぁ。

 外国の大型車ではBMW635CSi。今見てもあまり魅力を感じないのは歳を取ったせいなんだろうか。
 普通のBMWにアルピナの線だけ入れた「アルピナルック」が大流行していたけど、あれは後から考えると格好悪かった。

 いわゆるスーパーカーで一番好きだったのはBMWM1だが、当時この車では公道を走れないものだと思い込んでおり、ずっと後になって雑誌にナンバー付きの車両写真を見てびっくりした。
 それよりずっと長い間憧れていたのはロータスエスプリ、尖ったシリーズ2.2までが評価高いようだが、個人的な好みは少し丸みを帯びたシリーズ3だす。

 今から見て格好良く見える自動車というと、継ぎはぎみたいなデザインが逆に外見などになりふり構わない感じを醸し出しているランチアラリー。今ではロータスもエスプリよりロータスエクセルSEの方に魅力を感じる。

 国産では先代のマツダRXー7(SA22)も好きだったのがさらに洗練されヨーロッパ的な美しいデザインになったマツダRXー7(FC3S)が一番好きであった。もちろんデザイン的にはポルシェ924(△11の乗り物)が本家なのだが、とてもとても興味を持てるお値段ではなかった。
 この系統ではニッサン180SXも良かった。
 トヨタセリカXXも好きだったが、じっくり見るとBMWM1を5ナンバー枠に押し込んだみたいで違和感がある。

 周囲の人の乗っていた自動車。
 高校の通学路にやたら買い替える人が住んでいて、最初に見た時には確かベンツの300SEとアウディ80CCか何かだったのに、2〜3年の間にセカンドカーはアウディ100、アウディ200ターボ、ベンツ560SECと買い替え、ファーストカーの方はベンツ500SELを経てベンツ560SELになっていた。覚えていないだけでもっとあったかも。
 △11が働いていたモービルのマネージャー(店長)はトヨタクレスタからの乗り換えで国産と比較してまだ非常に高価だったBMW318を買って「普通の車だ」とボヤいていました。そりゃそうですな。
 弁護士をやっている若い非常勤講師が真っ赤なランチアデルタインテグラーレHFに乗っていた。土曜日の授業に来るたびに少しずつチューンがされていて、自動車が好きな学生同士で「シートベルトが4点式になっているぞ」「血液型がレタリングされた」と情報交換していた。
 まだホンの時々は三輪トラックが走っており、△11はモービルで働いていた時給油したことがある。一度口まで入れてもなぜかゆっくり液面が降りていくため、ガソリンを入れるのに非常に時間が掛かった。もちろんオーナーはその辺分かってらっしゃっていて最後は「もういいよ」だった。
 友人Tはニッサンシルビア(S12)に乗っていた。この車、ブースト計とリトラクタブルライトが格好良かったけど、巷では不人気であった。

 ル・マンはポルシェ956/962の独壇場、一部で「ポルシェの、ポルシェによる、ポルシェのためのル・マン」等と揶揄されていた。トヨタ、ニッサンがバブルでスポンサーを得て金に任せてポテンシャルを上げ有力候補に挙げられるようになったが、ポルシェの黄金時代に終わりを告げたのは1988年ジャガー。そのジャガーも2連覇はならず、1989年はメルセデス・ベンツ。
 ニッサンもトヨタも「いつでも勝てるチャンスがある」状態にまでなりつつも勝てないままバブル崩壊とともに撤退、底の浅さを露呈した。

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2006年1月 5日 (木)

1980年代の音楽

 前半はやっぱりイエローマジックオーケストラの存在が大きかった。あの時代に生きた音楽好きな人で衝撃を受けなかった人はいないでしょう。
 洋楽ではLOOK OF LOVE(ABC)がむちゃくちゃ格好よかったですね、、、12inないのかなぁ。SEPARATE WAYS(JOURNEY)目当てで購入したアルバムFRONTIERSに入っていたSEND HER MY LOVE(JOURNEY)は本命より良かったし、最初は地味だと思っていたFAITHFULLY(JOURNEY)も歳を取ると良さが分かって来た。
 はまりまくったディスコ系音楽でベストを挙げるのは難しいながら、最初に思いつくのはP-MACHINERY(PROPAGANDA)。ドイツ語なまりと思われる変な英語から、行き場のないヨーロッパの爛熟臭がプンプン。似た曲が全くないオリジナリティーを持っているが、誰か同じ路線で同じくらい格好良い曲を作ってくれないだろうか、、、って可能ならやっていますわな。爛熟したヨーロッパらしい曲と言えばイギリスはIT'S A SIN(PET SHOP BOYS)とかBLUE MONDAY(NEW ORDER)だが、ペットショップボーイズは後になって明るい曲をたくさん作るようになっている。
 格好良さでは、耳が故障しそうな音量でリピートしたTWO TRIVES( FGTH)、めちゃくちゃながら音楽になっているのが不思議なPARANOIMIA(ART OF NOISE)
 三菱ミラージュの宣伝にも使われたUNEXPECTED LOVERS(LIME)は史上最高のデュエット曲だと思っている。

 切ない女性ボーカルは好きだったですね〜。はきはきしたボーカルがだんだん高く転調して行くDON'T LET GO(TASHA)、裏返りかけたようなソプラノが哀しいSPECIAL LOVE(ATTACK FEATURELING SISLEY FERRE)
 それ以外の女性ボーカルで、自分でFavoriteCDを作るとすれば文句なく上位候補に入るのはYOU'VE GOT TO SAY,SAY IT RIGHT(ROSS)JET AIRLINER(MODERN TALKING)TOUCH MY HEART(DANUTA)
 日本アイドルがカバーしていたらしいSHOW ME(COVERGIRLS)、アーティスト名からは意外に感じられる曲調のMISTER GRINGO(FINZY KONTINI)、明日への希望が感じられるBE MY LIFE(CRUISIN' GANG)辺りも好きでしたねぇ。
 男性ボーカルで好きだったと言えばLASER LIGHT(LATIN LOVER)FIRE ON THEMOON(ALEPH)ローランド アナログシンセサイザーSHー101を持った2inシングルのジャケット写真が格好良かったLIVING ON VIDEO(TRANS-X)かな。高校の授業で社会科教師が「ベトナム戦争について知っていることを言って下さい」というのでネタとして使ったら教室中シーンとしたNINETEEN(PAUL HARDCASLE)

 当時は貧乏でレコードを買うなどとんでもないこと、まずはエアーチェックですな。ウチはFM愛知とNHKーFMの他にFM三重が入るので当時の田舎の人よりは有利だったと思うが、FMファンに「日本福祉大学(注:知多半島にある)の学生ですが少し大きいアンテナ立てて東京から大阪まで楽勝です、何もない海の上を電波が飛んでくるのだと思います」という趣旨の記事を見てうらやましく思ったりしていた。
 最初はポーズを外すタイミングを磨いて直接テープに録音するのだが、それだとやっぱり頭や尻尾が切れたりDJの声が入ったりするので、そのうちテープデッキを2台買い、まずはエアーチェック用のテープに録音しておいて編集するようにななった。音が劣化するし、テープデッキが2台必要になるので費用が掛かるが、、、
 高校に入るころからレコードをレンタルしてテープに録音、レタリングで文字を入れるようになったが、これ、すぐに「e」の文字が足りなくなる。

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2006年1月 4日 (水)

1980年代のオーディオ

 世間的にはどうなのか知らないが、もう本当ゴトウ音響に行ってARを聞いて以来、ほとんど国産オーディオには興味が持てず、情報を持ってない。

 一番音質に影響するスピーカーから。
 最初に憧れたのはジョージ・ウィンストンのソロピアノを聞いたタンノイFSMだったが、これはゴトウ音響に行く前だったかどうだったか、、、
 アコースティックリサーチARTSW210、これは確かゴトウ音響でお値段約3倍?のヤマハNS690と比較試聴されていたが、比較にならない素晴らしい音を出していた。ヤマハNS690と言えば当時一般オーディオ界でリファレンスの1つとされていたヤマハNS1000Mの弟分だったから衝撃は大きかった。奥の試聴室にはヤマハNS1000Xもあったと思うのだが、試聴で魅力を感じず確かな記憶は残っていない。何しろこの店、国産スピーカーは魅力がないことを証明するだけのために置いてあったのだと思う。値段じゃない、人の評価じゃない、自分の欲しいもの、良いと思うものを買うべきだということを強烈に思い知らされた瞬間であった。その後「自分の好きなソースを持って来なさい」と言われハウスのテープを持って行き、アコースティックリサーチAR50Tの凄まじい鳴りに頭をぶん殴られ、今も思い出すと心が震える。下位機種のアコースティックリサーチAR20も素晴らしかったが、やはり50Tの冷静な感じがたまらなかった。

 アンプはアキュフェーズEー305が一番欲しかった。大きくて反応の速いメーターが格好良かった。デザインではクオード44+305とかオーディオ界のミニクーパー、ネイムNait−1。スピーカーほど違いを感じなかったのでルックスの話になってしまうが、、、

 自分のシステムでも重点を置いたカセットデッキの分野では、自分で所有していたヤマハ Kー750a(△11の音楽スタヂオ)が一番だと思っていた。原音どおりではないが、好きだったユーロ、ハウスを熱く歌ってくれた。全く故障がなかったのも気に入っている理由である。ドルビーCと比べてもぐっとノイズが減りCDと同等のダイナミックレンジを確保できるdbxNRは本格CD時代を迎え必須技術と受け取られていた。可能なら上位機種のdbxNR装備ワンウェイも欲しかったが叶わず。
 かなり衰えつつも、1980’s前半、真面目なオーディオマニアは未だカセットデッキよりオープンリールデッキであった。何しろ物量がモノを言うアナログの世界でオープンだったらオーディオ用に使われる一番下の規格でも1/4in幅19cm/sのところ、カセットテープは幅1/8inのテープを4.8cm/sですから物量は8倍あるわけで、限界がある。
 ただコンシューマー向けに製品を出していたのはもうテクニクスくらいだったかも知れない。アカイ、ソニーといった大御所はもう止めちゃったかどうか、というところ。今でも作っているかも知れないスチューダー・ルボックス、オタリはまぁ普通の人とは無縁ですな(^_^;
 マルチトラックレコーディングの世界では一般用よりカセットテープ化が遅れた世界だったとは思うが、タスカムがカセット8Trマルチトラックレコーダーの製品化に成功してからは余程こだわる人だけになった。この世界でオープンリールデッキ絶滅の最後の引き金を引いたのは1992年に発売されVHSテープにデジタルで8Tr同時録音できるアレシスa−datだと思う。今ではこの世界、MIDIシーケンサーと統合されてコンピューターのソフトになっちゃったが、、、
 世間ではバブルに向かって突き進んでいた時代、真面目に頑張っていた設計者もたくさんいたのだろうが、製品がいかに高価でも許されたため常識外に高価なコンポーネントが続出した。
 時代を代表するのはマーク・レビンソン。No31L(CDトランスポート、¥1700k)、No30.5L(デジタルプロセッサー、¥2800k)、No26SL(プリアンプ、¥1520kフォノイコライザーなしのベーシックモデル)、No33L(パワーアンプ、ペア¥5700k200V仕様)、、、ってCDの音を聞くのにスピーカー買う前に¥10000kを超えるぢょ〜(T_T)4949
 他メーカーではJBLエベレストDD55000(スピーカー、ペア¥2600k)、インフィニティIRSーV(アンプ+スピーカー、¥12000k)、オーディオデバイスカルチャーウェア。カルチャーウェアはカタログに価格の記載ないながらこの時代に「(妥協なく作ったので)販売価格もそれなり」とあるので想像がつこうというもの。
 もちろんこれらの高額オーディオ機器とはほとんど何の縁もなく、父の行きつけの喫茶店がインフィニティBETA(スピーカー、¥3000kペア)を入れたと聞いて試聴に行き「特に良いわけでもないがなんでこんなに高いんじゃ」と思った程度だったが、逆に「オーディオなんかどうでもえぇ、特別に金を掛ける価値は感じねぇ」と悟る機会にはなったと思う(^_^;

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2006年1月 3日 (火)

1980年代の望遠鏡

 望遠鏡の世界で特徴的なのは、光害が激しくなり海外渡航も現実的になり移動に便利な「小型軽量化」、ハレー彗星が回帰したこともあってか「短焦点化」「広角化」、この分野でも進んだ「電子化」だろう。

 1970年代の後半からカートンコメットシーカー高橋製作所 P型望遠鏡(△11の天文台)辺りを嚆矢として短焦点化が進み、当初の普通は「屈折F15、反射F10」だったが、最終的に「屈折F8、反射F6」が普通になった。極端なところでは例えばケンコーハンディスコープG250なんてアクロマートで250/4.2という、晴れていても虹が見られたのではないかと思われるスペックの製品も出た。当然良識あるメーカーにとって通常ガラスのみでの短焦点化には限界があり、フローライトやEDガラスが一般化した。短焦点は小型軽量にも寄与した。
 都会では光害が酷くなったり、さらにはハレー彗星を見に条件の良いサイパンやオーストラリアにツアーが組まれ海外遠征するようになったりして、大口径の分野でも移動できるようにしようという動きがあった。自作ドブソニアンやシュミットカセグレンのブームは言うまでもないが、他にはミードDSー16という40cm反射赤道儀があり103kg、¥650kと重量お値段とも軽量であった。ちなみに手許に偶々ミカゲのカタログがあるが、43cm反射赤道儀430型は740kg、¥5300k。21cm反射赤道儀210型は147kg、¥630k。これがそれまでの望遠鏡の相場である。

 架台の新製品では電子化が進んだ。モータードライブを内蔵したのは高橋製作所 EMー1赤道儀架台(△11の天文台)が最初だと思う。星を自動導入するビクセンスカイセンサーのシステムが登場したのもこの時代であった。しかし新しくなくても特に支障がない分野だけに、ベテランは1970年代から引き続き高橋製作所Pー2赤道儀架台高橋製作所 90S赤道儀架台(△11の天文台)高橋製作所160J(P)赤道儀架台を使っていたように思う。
 低緯度地域で三脚との干渉を防ぐためバランスウェイトを斜めにも取り付け出来、南半球で極軸を合わせられモーター逆取付も前提、そして小型軽量に設計された高橋製作所スペースボーイ赤道儀架台はまさにハレー彗星の落とし子と言えるだろう。

 架台と同様天体写真のカメラボディーも「フィルム面とマウント面の平行が出ている」「スクリーン面とフィルム面が光学的に一致している」「遮光されている」「メカニカルでバルブができる」以外はほとんど何も要らないわけで、天体写真のデータにはニコンFニコマートFTnキヤノンFTbペンタックスSPーFミノルタSR101オリンパスOMー1等「往年の銘機」が当然のように幅を利かしていた。あまりに電子化された新鋭機ではバルブまで電子化されているため、天文写真も撮影するとなると逆に大きな欠点を抱えることになるし、対象が暗いため目盛で無限遠しか合わせない天文写真にはオートフォーカスも無用の長物、天文写真家はオートフォーカス機には普通の写真家より縁が深くなるのが遅れたと思う。
 余談だが「マニュアル時代の機種は悪くなかったのに、オートフォーカス機で無限遠の目盛に合わせても無限遠が出ない」「カメラ雑誌には書かれたことがないけど、誰も問題にしないのかなぁ」と言われていたメーカーもある。一般写真とは要求される精度が違ったのでもあろうが、天文ファンの間では「あのメーカーは使えね〜」が常識だったようだ。

 天文写真感材の分野では水素増感が花盛り、フィルムを水素ガスに漬けておくとHα線に対する感光性が高くなるということで、非常に高価なキットが売っていた。
 超微粒子のコダックテクニカルパン2415+POTA現像液とか、天文写真専用で赤に強いコダック103aE、青に強いコダック103aO等の特殊フィルムを普通のアマチュアが一生懸命使っていた。特に水素増感103aEはRー64フィルターを装着しガス星雲を写す定番であった。ただ長巻しか市販されてないのでフィルムローダーや空パトローネが必要、しかも膜面が弱く熟練した自家現像でなければ、という難儀な代物で、無論設備投資の資金を持たない△11に経験はありません。
 知多半島は幡豆郡にあった小メーカー、日本特殊光学がNTP−16というシュミットカメラを量産して一世を風靡し、一時はシュミットカセグレンNSCシリーズ、ライトシュミットLSシリーズ、ニュートンPNシリーズと大口径を含めかなりのラインナップになっていた。△11もこのメーカーに憧れて日本特殊光学 スペース10鏡筒(△11の天文台)を入手、PN−185も欲しいです。
 天文ガイド紙上でアンシャープマスキングの技法が紹介されていた。「要するに覆い焼きだよ」と教えてもらいましたが写真部がなかった新設高校に通学する△11には分からなかった。「dbxNRだよ」と教えてくれたらわかったのに(^_^;
 サクラカラー400が天文雑誌に広告を出していたのが印象的だった。そのうち高感度競争が始まりコダックVR1000サクラカラー1600が出た。これもハレー彗星効果になるのか、短い露出でハレー彗星が写る、という触れ込みだったと記憶している。でも実際に使うと粒子ザラザラだし、目立たないはずの紙面上ですらザラザラ感があり「う〜ん写るけど、写るだけだなぁ」と思った。短い露出でハレー彗星が写る、という触れ込みの広告と言えばオリンパスも当時250/2だったか350/2.8を天文ガイドの広告に出していた。

 アイピースで一番顕著だったのは広角化であろう。それまで見掛視界は約40度がデフォルト、約60度のエルフレが特殊扱いであっただけだったのが、約50度のマスヤマ、約60度のケーニッヒ、そして真打ちは約80度のナグラーと百花繚乱。ドブソニアンは微動or追尾装置のない経緯台なので高倍率を掛けるなら広角アイピースは必須、ドブソニアンの流行がアイピース広角化の原因の一つかも知れない。
 アイピースが広角化されるに当たり、アメリカンサイズが出て来た。前述マスヤマもナグラーもアメリカンサイズである。
 あまり目立った動きではなかったが対物の短焦点化に伴いアイピースも短焦点化の傾向があり、例えば高橋製作所 Hi−Or2.8(△11の天文台)が端的な例だし、ガイド用に十字線の入った高橋製作所K12が高橋製作所 K9(△11の天文台)に置換された。

 大口径の双眼鏡も流行した。
 それまで天文用の代表的スペックは7×50であったが、もう1つ格上の11×80が安価に量販されて定着しました。これが重くて手持ちでは大変なので観望架台自作記事が天文雑誌に掲載された。
 さらにはニコン20×120とかフジノン25×150といった大型双眼鏡を個人で買う人も出て来た。しかし新品はあまりに高価なため、天文雑誌に「焼津に行ってニコン20×120の中古を¥100k程度で買って日本光学でオーバーホールする」という記事も出て、一時焼津は天文ファンのワンダーランドになっていたらしい。どうして焼津かって、大型双眼鏡はマグロ魚群を探す遠洋漁業機材の一つなんですな。今は程度の良い中古は出なくなったようですが、当時はマグロ遠洋漁業の景気が良かったのかまだ消耗され切っていない中古品が安価にゴロゴロしていたのだとか。
 フジノン25×150を赤道儀に同架しちゃう記事もあった。もちろんそのまま積んでも接眼部が水平にならないから、キャスターを装着した双眼鏡が赤道儀に装着した円盤の中を回転するという凝った構造であった。

 名古屋には高橋製作所名古屋営業所オリオン館の2軒の天文ショップがあったが、さらに協栄産業が進出して3軒になった。
 行ったことはないが、サンワが天文ガイドに非常に誠実そうな広告を出していて、いつか行きたいと思っていた。

 ハレー彗星は望遠鏡業界に決定的な足跡を残した。星など見たこともなく興味もなかった人達が望遠鏡専門店に殺到して商品が店頭から消え、一番条件の良くなった1986年03月には普段静かな田舎道が何ケ所も渋滞で動けなくなったそうである。サイパンやオーストラリアに行くツアーが幾つも組まれ、天文雑誌に広告された。ハレー彗星が行ってしまって、特需反動でいくつかメーカーが潰れた。

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2006年1月 2日 (月)

1980年代のカメラレンズ

 交換レンズの世界で注目していたのはやはりキラ星のような超弩級レンズの数々。
 この分野で本命の日本光学はAiフィッシュアイ6/2.8S Ai13/5.6S、Ai300/2SAi360〜1200/11S、専用架台AYー1まで用意されたレフ レックス2000/11。キヤノンはFD14/2.8LFD400/2.8LFD800/5.6L、特殊で格好良い操作系を持つFD150〜 600/5.6L。ペンタックスはレフレックス2000/13.5、レフレックスなのにズームのレフレックスズーム400〜600/8〜12。オリンパスはハレー彗星の頃天 文ファンの広告ページを飾った250/2350/2.8。ミノルタはレフレックス1600/11。ヤシコンは値段で唖然のミロター1000/5.6
 焦点距離は普通なので超弩級とは言えないながら、明るさが普通でないレンズもあった。キヤノンはFD24/1.4LFD85/1.2L

 高価な特殊レンズも一杯ラインナップに載っていた。
 日本光学はAiノクト58/1.2SAiUV105/4.5Sメディカル120/4。顕微鏡も有名なオリンパスのラインナップはさすがにマクロレンズが充実。

  地味ながらペンタックスM40/2.8ズイコー40/2テッサー45/2.8ヘキサノン40/1.8といったスペック、いわゆるパンケーキのレン ズを各社出していたのもこの時代の特徴である。日本光学も少し前にGN45/2.8を出しており、まだ中古が安価にゴロゴロしていた。

 交換レンズメーカーの製品にもいくつか注目すべき製品があった。交換式のアダプトールマウントで多数のメーカーのボディーを使うなら便利ながら寸胴デザインが格好悪かったタムロンは大口径マクロの走りSP90/2.5(52B)、そして純正より明るい180/2.5。トキナーは「ポートレート専用ズーム」のATーX60〜120/2.8、ニコンのAi80〜200/2.8Sは買えなく てもこれなら将来買えるかも知れないATーX828(80〜200/2.8)。シグマはウルトラワイド(24/2.8)ミニワイド(28/2.8)と いった普通のスペックにチューリップ型フッドをつけていた。

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1980年代のカメラボディー

 この時代のカメラで一番インパクトがあったのはニコンFAであった。日本光学は1/4000&X200のニコン FM2(△11のカメラバッグ)やオート1/4000&X250のニコン FE2(△11のカメラバッグ)で基礎的技術力の高さは証明していたが、当時マルチモード一眼レフはすでにキヤノンAー1ペンタックススーパーAが出ており、何でもできるのがカッコ良かった時代、やはり素人から見たら日本光学ファンは肩身が狭かったのである。
 実際に出た「日本光学初のマルチモード一眼レフ」、あんなに格好良いカメラはなかった。ニコン モータードライブMDー12(△11のカメラバッグ)も使用できたが、専用&一体デザインのMDー15がデザイン的にはやはり素晴らしかった。
 単純なマルチモードに終わらず、マルチパターン測光はこの機種に始まり今に至るまで当たり前になる革命的な機能であった。

 モータードライブを内蔵したコニカFTー1モーターも電子化が進む時代の過渡的な存在として印象的であった。個人的には望遠鏡の世界でモータードライブを内蔵したタカハシ EMー1赤道儀架台(△11の天文台)とイメージが重なっている。ちなみに名古屋の望遠鏡屋さん「オリオン館」で月や惑星の撮影用にとコニカFTー1モータープロハーフという特殊機種を扱っていたのも望遠鏡業界とイメージが重なる原因かも知れない。惑星は強拡大してもフィルムの上には小さくしか写らないのでフィルムサイズは小さくても充分、それより撮影枚数が欲しいのですな。ちなみにモータードライブ内蔵ではコニカFSー1の方が時代的には前だが、デザイン的にはずっとFT−1の方が良いと思う。

 モーター内蔵と言えばコンタックス137MAも忘れられない。コニカはマイナーであったからボディーを買うのは良いとしてレンズに困りかねないが、ヤシコンならメジャーなマウントである。ま、揃えるならレンズが高価で有名だったヤシコンの方が困ったかも知れないが、、、。ポルシェデザインそのものではないらしいものの、ポルシェデザインのコンタックスRTSと共通の雰囲気を持つのも良かった。

 何だかよく分からないまま凄かったのがライカR4。当時誰も話題にしなかったが、新鋭一眼レフたる資格、マルチモードを備えていた。値段を見てまた絶句だったが、、、レンズが高価で有名だったヤシコンも比較にならない高価さ(^_^;!

 よく分からないってことで言えばさらに上を行っていたのがローライフレックス2000F。「何だこりゃ、でも凄い」。フィルムを途中で交換できるのはライカ判の一眼レフでは唯一だったし、モーター内蔵。ウェストレベルとアイレベルを簡単に切替できるのも凄い。交換レンズはむちゃくちゃに高いツァイスと、まぁまぁ手頃なローライナーの2ライン。でも誰も使ってないので実際どうなのか全く不明なのと、ローライナーのデザインがトキナー臭かった(^_^;

 チノンも現物を見たことないという意味ではよくわからなかった。一体どこで売っていたか、しかもその後も見たことがない。その割にはカメラ総合カタログには4機種を掲載、インターバルタイマー内蔵ワインダー、ワイヤレスコントローラー、インフォバックと妖しい特殊装備品が一杯安価にラインナップされていた。インターバルタイマーなんて「究極超人あ〜る」でも誰も持っていない高価なオプションの代表扱い、ニコンMTー2ならモーター別¥90kのところチノンならインターバルタイマー内臓ワインダーが¥25k。

 この時代までは「高級機」「中級機」「普及機」の区分がかなりはっきりしていた。ある時代の日本光学で言えば高級機はニコンF3、中級機はニコンFAニコンFE2(△11のカメラバッグ)ニコンFM2(△11のカメラバッグ)、普及機はニコンFGニコン FG20ニコンEMとなる。各クラスのだいたいの特徴は、高級機「機能はそう多くなく、評価が定まらない新機能もあまり入らない」「ファインダー交換可能」「交換スクリーン多種」「モータードライブは秒速5駒程度」「長巻フィルムバックを使える」、中級機「機能は多め、新機能もテスト的に導入される」「交換スクリーン数種」「モータードライブは秒速3駒程度」、普及機「機能はそう多くない」「モータードライブは秒速2駒程度」。
 これに真っ向から逆らっていたのがペンタックスMXであった。ボディーのみ¥48kと普及機のお値段ながらオプションに秒速5駒のモータードライブ、長巻フィルムバックがあるのは上級機ペンタックスLX並み。ファインダーは交換できないもののスクリーンの種類も上級機と同等。ちゃらちゃらと新技術を導入せずメカニカルシャッター1本槍の姿勢は額の古いAOCoロゴと相俟って古剣豪の趣を醸していた。地味だけど簡単装填のマジックスプールも真面目に考えてあるなぁと好感を持った要因だ。

 我ら貧乏人が買える可能性があるとすれば普及機、しかしマニュアル露出は絶対条件となると、安心感の日本光学はフィルムカウンター側の斜めカットがキュートなニコン FGー20、ちょっとプラスチックの質がバタ臭いキヤノンAEー1プログラム、一生テッサー45/2.8一本で終わりそうな予感のコンタックス139、そしてマニュアルアダプターという隠れキャラ的オプションを持つオリンパスOM10が選択肢に挙がる。

 カメラ仲間とこの時代のカメラの話をするとなると遅かれ早かれ必ず話題になるのが「宮崎美子のミノルタXー7」vs「大場久美子のオリンパスOM10」のCM合戦なのだが、如何せんウチは一日にNHKを1時間しか見ちゃダメという厳しい家庭環境で育ったので、このCMも回顧番組でしか見ていない。
 それより、カタログを四六時中眺めていた。雑誌なんか買わなくても、ただでもらえるカタログで一通りの技術情報は入手できる。おかげで当時は国産一眼レフならどんなカメラでも、絞込ボタンやアイピースシャッターといった普通の人には無縁の機能でも即座に操作できた。そのカタログで気に入っていたのはまずニューヨークのニコン FGカタログ、イタリアのオリンパス OM10カタログのような旅行もの。そしてレンズを真横から写してあり精密感の溢れるAi−S時代のニコン ニッコールレンズカタログ

 世間的にはミノルタαー7000を抜きにこの時代は語れないだろう。それまでにオートフォーカス一眼レフはペンタックスMEーF(35〜70/2.8)、ニコンF3AF(AiAF80/2.8S、AiAFED200/3.5S)、オリンパスOMー30(35〜70/4)があったが、いずれもオートフォーカスで使用できるレンズが1〜2本と非常に限られていた。マウントが変更されレンズを買い直さなければならないとは言え、あらゆる焦点距離でオートフォーカスが使用できるのは革命的だったと思う。いわゆるαショック、一時「αにあらずんば一眼レフに非ず」という雰囲気にすらなった。

 キヤノンTー90は、当時は全く興味がなかったものの、ずっと後になり色々な人の話を聞くうちにだんだん気になって来た機種である。αショックの後でマニュアルフォーカスってのも何だかと思ったが、オートフォーカス機発売までの完全なつなぎだったニコンFー301と違い、大きな意味があった。電子化以前の操作系に固執するニコン、プッシュボタンの操作系に切り替え「使いたい奴は慣れろや」と言わんばかりのミノルタに対し、人間の性質に合った新しい操作系を模索する姿勢が新鮮、この操作系は本格的オートフォーカス一眼レフEOS650に花開き、今に続く広く長い道の起点となった。EOSが主力となってもFDマウントでしか出ていないレンズを便利に使うためカメラマンが中古品を買い支え、しばらく高値安定していた。

 簡単にフィルム装填ができるというセールストークのパターソン現像タンクにも興味津々であった。今はどうか知らないが、当時はまだ高校の写真部でも白黒現像が当然の技術だった時代である。

 この時代の写真業界の雰囲気を少しでも味わえる漫画として、新谷かおるシリーズ1/1000秒とゆうきまさみ究極超人あ〜る第7巻を挙げておく。

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